これに対して、回答者は「(母親の態度は)尋常ではない」「息子に謝って」と母親を強く糾弾。この意見にネット上の多くの人が同感し、母親を一方的に責めたてる論調が満ちあふれたが、一連のやりとりに、反抗期真っ盛りの中学男子を持つ筆者は複雑な心持ちにならざるを得なかった。
確かに絶対に言ってはならない言葉ではある。ただ、周囲の(特に男の子の)母親に聞いても、「そういう思いを瞬間的にも全く抱いたことはない、と言えばウソになる」と言う人は少なくない。「思わずキレてしまいそうになるので、刃物を近くに置かないようにしている」と言う人さえいる。それほど、中学男子は「クソ」だったりする。暇さえあれば、ゲームにうつつを抜かし、注意をすれば、激しく口答え。何かというと、周囲の人のせいにする、忘れものが多い、部屋が汚すぎる……。
数え上げればそのダメダメぶりはキリがないが、口にしないとしても、本当に「どうしようもない」と絶望感にとらわれる母親は少なくないはずだ。
更年期真っ只中の母親と中二病真っ盛りの息子の繰り広げる我が家の「ホルモンバトル」は、まるで発情期のオスネコ2匹の戦いのような地獄絵である。そんな戦いに疲れた筆者は、はたと考えた。このままでは親子共倒れになるのではないか。「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」と今はやりのアドラー先生もおっしゃっているが、その対人関係の悩みのほとんどはコミュ力で解決できる、と説く筆者である。ここは、「コミュ力」で解決の糸口を探したい、と考えた。
我が家の「コミュ力実験」で効果があったこと
そこで、海外の教育学者や心理学者の文献を色々と読みあさるうちに、腑に落ちる気づきがいくつもあった。あらゆる価値観のぶつかり合う昨今、腹が立つことも増えたという人も多いだろう。怒りを抑え、インナーピース(心の平穏)を実現する方法とは?我が家の「コミュ力実験」で、実際に効果があったアドバイスを紹介しよう。
① 怒りをぶつけても得るものは何もない
今回の「実験」の最大の発見は、「怒りとは(怒りをもたらす相手に)報復や制裁を求める気持ちである」ということだった。これは多くの学者、さらに古代ギリシャの哲学者アリストテレスも唱えていることだ。そもそも、筆者が息子を怒るのは、彼に、自分の間違えを自覚してもらいたい、改めてほしいという思いからだった。
つまり、利他的な思いから仕方なく怒り、物事をただすのだと思い込んでいた。しかし実のところ、怒りとは「自分を理不尽な思いにさせた相手を見返すのだ、復讐するのだ」という利己的な思いである、というのだ。「怒りをぶつけること」は自分を利することを目的とする行為である、という悟りは筆者にとっては衝撃的なものだった。
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