② 怒ることは事態を悪化させる
感情的に怒りをぶつけることは相手に戦闘を挑む行為だ。動物の脳はそもそも、相手に攻撃されたら、防御するか、反撃するようにプログラミングされている。怒りの応酬は燃料投下を続けるだけの行為であり、そこで相手を説得したり、理解を得ることは難しい。結局、埒があかない、ずぶずぶの泥沼状態に陥っていくだけなのだ。むやみに怒って得られるものはなにもない。
③ 怒ったら負け
例えば子供の文句に対して、論破しよう、説得しようと、怒って叫び返すことは、子供と同じ土俵に自分も立つ、ということを意味する。相手の挑発にのって、リングに立つようなものだ。子供は親を自分と同格のものとみなし、畏怖は消える。尊厳は失われ、権威として従うものだという意識もなくなる。つまり、優位性をすべて投げ打ってしまうということだ。怒りの応酬に陥ることは負けを意味する。
サンドバッグや枕を殴りつけても怒りは収まらない
④ 怒りは溜め込んでも、ぶちまけてもいけない
かといって、怒りを溜め込めということではない。我慢しろ、ということでもない。溜め込めばマグマのようにいつか爆発するかもしれない。ただし、ぶちまけることはおススメしない。サンドバッグや枕を殴りつけても、怒りは収まるどころか悪化する。どこかのサイトに憤りをぶつけても、解決策にはならない。
⑤ 怒る時と方法を選ぶ
「怒り」そのものは人を動かす大きなエネルギーになることもある。革命を起こす力にも、社会を動かすエンジンにもなる。「怒り」の感情を否定するわけではない。問題は恒常的に「ガミガミ」とヒステリーを起こしていては、怒りを効果的なエネルギーとして昇華できないことだ。例えば、100回怒りを感じるとしたら、その中の1回ぐらい、本当に重要な場面に限って、「怒り」を表に出してもいい。ただ、その際も、ヒステリックに叫ぶのではなく、低音で、相手がビビるぐらいの威圧感を持って、手短に明確にメッセージを伝えることを心掛けるといい。
⑥ クールダウンする
怒りを感じたら、(子どもを見失わない範囲で)、いったん、その場を離れる。不愉快なネットのニュースだったり、怒りオーラを発している人だったり、ネガティブエネルギーを発する物体や相手からとりあえず、物理的に距離を置く。その場にとどまり続けることは怒りの蟻地獄に身を任せるだけである。
⑦ ストーリーを書き換えてみる
例えば、この「相談者」の人生を想像してみよう。シングルマザーでありながら、娘を大学にやろうと必死に昼夜問わず、汗水流して働いているのかもしれない。息子には幸せになってもらいたいと、心配ばかりしているのかもしれない。サービスの悪い店員がいたとしよう。普段は問題ない働きぶりなのに、その日に限り、飼っていた猫が病気になり、心配でたまらなく上の空だったのかもしれない。そう考えると、「自己中心的な母親」や「怠惰な店員」といった、最初の思い込みとは違ったストーリーが見えてくる。
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