
ネット上でのコミュニケーションにおいて「感情感染」が大規模なレベルで発生することがわかってきた(写真:master1305 / PIXTA)

この連載の一覧はこちら
前回、前々回とネットにはびこる「不寛容」について触れた。これまで潜在していた人間の本能的制裁欲求や承認欲求がむき出しになるインターネット空間で、人と人との関係性がきしみだしている印象を受けるが、その処方箋は果たしてあるのか。
そこにたどり着く前に、今回は、ネット上でのコミュニケーションの特質についてもう少しだけ、掘り下げてみたい。
文体が違うと受ける印象が様変わり
一体、日本はどういうことになっているのか。一億総活躍社会ではなかったのか。昨日、私は保育園の抽選に落ちた。
どうすればいいのか。これでは私がキャリアを積む可能性は閉ざされてしまう。子供を産んで、子育てをし、社会に出て働いて税金を納めているのに、一体、何が問題だというのか。
少子化が騒がれているが、子供を産んでも、希望通りに子供を保育園に預けるのはほぼ無理、という状態では、子供は安心して産めない。…(後略)
皆さん、見覚え、聞き覚えがあるかもしれない。そう、匿名ブログに書かれ、大きな話題となった「保育園落ちたの私だ」と同様の主旨の文だ。例えば、新聞の投稿欄用に書かれていたとしたら、こんな感じの文体になっていただろう。ただ、受ける印象は全く違う。もし、上記のような文体で書かれていたら、あれほど世間を動かしていただろうか。
あの文章の破壊的パワーの源は、個人の声がそのままぶちまけられたような生々しさだけではない。なにより、乱暴な言葉でつづられた「とてつもない怒り」だ。「日本」を擬人化し、「なんなんだよ」「じぇねーのかよ」「クソ」「ふざけんな」などと荒々しい憤りを叩きつけた。ネット上では、「天下の正論」と言わんばかりに取り上げられる向きもあったが、その激しい語調に違和感を覚えた人も少なくなかったはずだ。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事