前回、前々回とネットにはびこる「不寛容」について触れた。これまで潜在していた人間の本能的制裁欲求や承認欲求がむき出しになるインターネット空間で、人と人との関係性がきしみだしている印象を受けるが、その処方箋は果たしてあるのか。
そこにたどり着く前に、今回は、ネット上でのコミュニケーションの特質についてもう少しだけ、掘り下げてみたい。
文体が違うと受ける印象が様変わり
皆さん、見覚え、聞き覚えがあるかもしれない。そう、匿名ブログに書かれ、大きな話題となった「保育園落ちたの私だ」と同様の主旨の文だ。例えば、新聞の投稿欄用に書かれていたとしたら、こんな感じの文体になっていただろう。ただ、受ける印象は全く違う。もし、上記のような文体で書かれていたら、あれほど世間を動かしていただろうか。
あの文章の破壊的パワーの源は、個人の声がそのままぶちまけられたような生々しさだけではない。なにより、乱暴な言葉でつづられた「とてつもない怒り」だ。「日本」を擬人化し、「なんなんだよ」「じぇねーのかよ」「クソ」「ふざけんな」などと荒々しい憤りを叩きつけた。ネット上では、「天下の正論」と言わんばかりに取り上げられる向きもあったが、その激しい語調に違和感を覚えた人も少なくなかったはずだ。
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