① 誰からも見られないし、相手の顔も見えないという不可視性
② その場、その瞬間に相手や他人の反応などを感じ取ることができない時間のずれ
③ オンライン上の誰かの言葉が自分の言葉のように感じられたり、人に話しかけているのではなくて、自分自身に話している、つまり独り言を言っているような錯覚
④ まるでゲームのように非現実の空間であるという感覚
⑤ 上下関係がなく、警察のように取り締まる人間もいないので、何を言ってもいいのだという意識
タガが外れてしまう多くの条件がそろっている、ということだ。
「保育園」投稿も、まさに③の独り言のようなものだったのかもしれないが、怒りの伝染効果に、政治的な思惑も絡み合って、ここまでの波紋を呼んだといえるだろう。
怒りの爆発は何も解決しない
そもそも、人は怒りを吐き出すことによって、心に整理をつけ、すっきりした気持ちになることができるのか。多くの研究者は、怒りをぶちまけることによる「カタルシス効果」はない、と結論づけている。ネットの投稿で怒りを吐き出すと、その瞬間は怒りが収まったような気がしても、その後、すぐにより大きな怒りを感じるだけだというのだ。ある実験では、2分間何もしないでいる方が、怒りをサンドバックにぶつけるよりも鎮静効果があったという。いずれにせよ、怒りを爆発させるのは最もお勧めできない方法なのだそうだ。
筆者も時々、家族を相手に怒りをぶちまけ、その後、「あんなに怒らなきゃよかった」と反省するのだが、ネットであれば、「いや、あなたの怒りはごもっともだ」「私も同様に怒っている」などといった大勢の声によって承認欲求が満たされるのと同時に、怒りを正当なものと感じてしまう厄介さがある。
本来、日本人は感情表現を抑えたコミュニケーションを特徴とする国民性だ。表情もジェスチャーも、言葉遣いも、きわめて抑制的ゆえに、大げさな感情表現に対するアレルギーも少なくない。しかし、一方で、免疫がないがために、過激な感情表現を咀嚼できないまま、勢いに飲み込まれてしまうという怖さもあるのかもしれない。
インターネットというバーチャル空間の中で起きる「怒りの集団感染」。怒りというウィルスいっぱいの容器を無数の人間がせっせとバケツリレーをしているような様相を思い浮かべると、何だか浮かない気分になるばかり。ネガティブ感情ウィルスに対する耐性を高めること。大げさな感情刺激だけで、人の心を扇動しようとする欺瞞を見破るためのリテラシーを持つこと。怒りの大感染時代に備えたコミュ力の強化は、喫緊の課題なのだ。
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