「カネで動くようなやつは官僚にはいらん!」と精神論を言う方もいるだろうが、日本でも、いっそのこと(全体の議員数は減らしつつ)一部のエリート指導層には投資銀行並みの給料、ボーナスを渡してはどうだろうか。
そうでないと、「優秀で社会に貢献できる能力もあり、かつ、おカネも欲しい」という人材が来ないのではないかと思うのだが、こうした考えは、「新自由主義者め(この言葉の意味がよくわからないのだが)」と記号的に反発されるので、社会的には受け入れてもらえないだろう。
「清貧な指導者が必要だ」という気持ちもよくわかるが、優秀な人材を引き付ける対案を示した上で建設的に批判したいところだ。厳しい現実を言えば、私の周りで外務省や財務省から(しかもトップクラスで入省した人々)コンサルティングファームや投資銀行、プライベートエクイティファームに転職した人は非常に多い。
エリートたちも自分探し中
さて、話は戻って昨日深夜の1時ごろまで彼らと長々と飲みつつ、このコラムのネタ探しがてら、根掘り葉掘り将来のビジョンや経歴を聞いていたのだが 「私たちは競争に勝ってきたのだが、実際のところ自分が何をやりたいか明確に分かっているわけではない」という回答が大半だった。
中東の国富ファンドやクレディスイス、ゴールドマンサックスといった、世の優秀な若者がこぞって入りたがる憧れの会社で活躍するビジネスパーソンたちが、押しなべてMBAに殺到したり転職したがっているのも、総じて自分が何をやりたいかをわかっていないからなのだ。
こうした「今まで学業でもキャリアでも社会に選ばれてきたが、これから自分で何を選んだらいいかわからない」というエリートたちが、自分が最も輝ける分野で羽ばたくうえで、いったい何が必要なのだろうか。
その答えに関し、グローバルエリート達に揉まれて働いてきた私が驚愕の内幕ストーリーを提供したいと思うが、今回は長くなってしまったので続きは次回に譲りたい。
次回のコラムでお会いするまで、親愛な読者の皆様におかれましては、ぜひ風邪に気をつけて、ご健康にお暮らしください。
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