竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」 批判に耐える力、健康、英語について
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昔の民主主義は、もっと厳しかった
今の日本には、問題解決のための案を出さず、批判ばかりしている人が多い。小泉内閣の中にいて批判ばかりされているときに、批判のパターンは3つしかないことに気がついた。
1つは、反対のことを言えばいい。金利が下がれば、「金利が下がったら、年金生活者が困る」と言い、金利が上がれば「中小企業が困る」と言う。このやり方であれば、いつも批判することができる。
2つ目は、永遠の真理を言えばいい。たとえば、「もっと戦略的に考えないと駄目だ」とか、「もっと目線を低くして考えないと駄目だ」といった正論を言う。戦略的に考えなくていい、という人は誰もいないので、否定しようがない。
3番目は、相手にラベルを貼ってしまえばいい。「あいつはアメリカ原理主義者だ」とか。これはもう思考停止だ。
どうしても人を批判しなければならないときは、この3つのパターンのどれかを使えばいい。この3つには明らかな共通点がある。それは、どうすればよいかという対案がないということだ。
昔の民主主義は、もっと厳しいものだった。自分が何かを主張したら、「じゃあ君やってみろ」と言われるし、「あなたは死刑の執行に賛成か? 反対か?」と聞かれて、「賛成だ」と答えれば、「では、あなたが執行してください」と言われかねなかった。そうした厳しさが、民主主義の一つの原点だった。
ところが今の日本には、人の批判だけをしていればいい、心地良い空間ができてしまった。「あのお年寄りかわいそうじゃないか。何とかしろ」と主張はするが、「では、しばらくの間、あなたがお小遣いを削って支えてください」と言われると、「いやいや、それは俺の問題ではない」と逃げることができる。