その時に私たちは、享受に当たって痛みを伴う「リアル歴史」の方を、それでも選んで生きるべきだといえるだけの基盤を持っているのだろうか。むしろ、国家単位での歴史の語り継ぎが、国際的な「歴史問題」を引き起こすなら、そんなものは捨ててしまうのが一番の解決策ではないか。
個々人がめいめいバラバラに、史実か架空かにこだわらず、好みの物語を「歴史」としてチョイスするほうがずっと平和になる。――そんな空気は、現実に私たちの時代にも、しのび寄っているように感じる。
アボリジニに回帰しつつある? 私たちの歴史意識
批評家の東浩紀氏の『リアルのゆくえ』(大塚英志氏と共著)や、宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』などの近著が、ともに「南京大虐殺の有無」自体を、結局は個人の嗜好による物語のチョイスの典型として挙げているのに驚いたことがあるが、ひょっとするともはやこの国は、トラブルの種にしかならない「歴史」を捨てたがっているのかもしれない。
対立する諸陣営が互いに相手を説得する気力を失い、それぞれ別個に「元気が出る歴史!」を求めているとしか思えない類の論争を見るにつけ、保苅とは別の意味で、なるほどケネディが応援に来たことにしてもいいのかもしれないな、と思うことがある。私たち自身の歴史意識が、アボリジニに回帰しつつあるかもしれないのだ。
そんな時代に、なにを尺度として「歴史」を語ったらいいのだろう。保苅の同書は、歴史の真実(truth)は揺らいでも真摯さ(truthfulness)という基準が残る、という観点を示唆して終わっているが、これは若干レトリックのような気もする。
そんなことを考えながら、終幕が近いのかもしれないこの「歴史」というものに、あと少しだけ寄り添ってみたい。
【初出:2012.11.10「週刊東洋経済(中国リスク)」】
(担当者通信欄)
「元気が出る歴史!」か痛みを伴う「リアル歴史」か。私たちがどのように「歴史」を捉えるかということ、それ自体も歴史の一部を形作っていくのでしょうか。本文中にとりあげられた、保苅実さんの『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(御茶の水書房、2004年)は、学術書初心者の方にもおすすめの一冊。「歴史は楽しくなくちゃならない」という言葉通りの躍動感と、しかしアボリジニの歴史と向き合いながら葛藤する著者の姿。あらためて「歴史」とは何かを考えさせられます。
さて、與那覇潤先生の「歴史になる一歩手前」連載第2回は2012年12月3日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、損しない!生命保険)」に掲載!
今年一年を振り返ると、日本化する中国が見える!?
現在の日本について、歴史から考えてみたい方は、2012年9月刊行の『「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人』(池田信夫氏との共著、PHP研究所)もぜひ!
日本化する中国…という連載記事の前に、読んでおきたいのが、2011年刊行の話題書、『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら