「歴史」を捨てた方が幸せになれるとしたら? ガンダムとアボリジニから、歴史のリアルを考える

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 「歴史」を持たない社会の歴史意識のあり方

実際、われわれが想像するような意味での「歴史」を持たない社会は、人類史上いくらでも存在する。

たとえば一般に無文字社会と呼ばれる人々の集団では、(私たちの価値観からすると)「神話」という形でしか、みずからの過去についての語りを持たないことが普通であって、世俗化された世界観の下に年表形式で史実が列挙されるという種類の「歴史」は存在しないことが多い。

アボリジニの村に滞在、長老と過ごす時間を「歴史する」中で、歴史とは何かを問い続けた著者の遺作(御茶の水書房、2004年)

夭逝した歴史人類学者の遺著として刊行当時、話題を呼んだ 保苅実ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践 は、豪州の先住民族が今日も有する、われわれとはまったく異なる歴史意識のあり方を、ショッキングに突きつけてくる。

保苅によれば、彼が調査したグリンジというアボリジニ・グループの長老は、こう語ったという。

同地では1966年、劣悪な労働条件に抗議したアボリジニによる職場からの退去と、白人に対する土地返還運動が起きるが(75年に勝利)、長老いわく、そのきっかけは米国大統領ケネディの来訪だというのだ。

彼らが生きている「歴史」のなかでは、とにかくケネディが同地を訪れて先住民を激励し、「イギリスに対して戦争を起こして、お前たちに協力するよ」と申し出たのが、運動のはじまりだということに今もなっている。

――もちろんそのような史実は、JFKが63年に暗殺される私たちの「歴史」には、まったく存在しない。

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