中国化か江戸時代かがつねに日本史の対立軸--『中国化する日本』を書いた與那覇 潤氏(愛知県立大学日本文化学部准教授)に聞く
われわれがグローバル化だと思っている社会の変化は、実は「中国化」だ──。「中国化」と「江戸時代」のせめぎ合いという観点から、日本史を再構成した野心作。
──日本に「中国化」の波が中世・近代・現在の3度押し寄せたとの主張ですが、「中国化」の定義とは。
端的には、日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること。日本人が「グローバル化に対応できない」のは、中世以来の癖なのだというのが、本書の歴史観。今日のグローバル社会の原型が宋朝の中国大陸で生まれて以降、それに時折引き付けられつつも、最後は反発してきた日本という国の成り立ちを描いた。
──中国化=グローバル化というのは、斬新な問題提起です。
冷戦の終結時に米国の政治学者フクヤマは「歴史の終わり」を唱えた。社会主義という対抗イデオロギーを失って米国の一極支配が正当化され、国家内での再分配よりも世界規模の市場競争が優先される。
しかし、実はそういう秩序を最初に実現したのが宋の時代(960~1279年)の中国。「歴史の終わり」とは、1000年かかって全世界が中国に追いついたということ。
──宋代の統治システムとは。
中国史の泰斗・内藤湖南は、現代に至る中国社会の原型は宋代にできたとする。具体的には、貴族政治を撤廃して皇帝独裁政治を始めた。そして、政治の秩序を皇帝一極集中にしたのとは対照的に、経済や社会は徹底的に自由化した。
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