中国化か江戸時代かがつねに日本史の対立軸--『中国化する日本』を書いた與那覇 潤氏(愛知県立大学日本文化学部准教授)に聞く
──日本人は、これから進む「中国化」にどう対処すべきでしょうか。
歴史はずばりの処方箋は示せない。だが、「日本の弱点は何か」ということは教えてくれる。日本型の社会システムにも中国型にも、それぞれ長所と短所があり、そのパフォーマンスが局面によって変わるだけ。日本人の「弱点」は、「江戸時代」の閉鎖性に息が詰まると破れかぶれで「中国化」に幻想を託し、しかし「中国化」した競争社会にストレスがたまると、今度はやみくもに「江戸回帰」へ突き進むところ。歴史認識の欠如が、戦略なき感情論に走らせる。
文明開化ともてはやされた明治維新の実態は「中国化」で、共同体に属していれば何とか食べられた江戸時代の秩序を崩壊させ、日本人を自己責任と自由競争の世界に投げ込んだ。その下で貧窮化した人々の怨念が、農本主義という「江戸回帰」の願望を媒介に、「みんなが『平等』に戦争に行って死ね」とする軍国主義を生み出したのが昭和維新。最後は敗戦ですべてご破算になった。
──大胆な説に聞こえますが、最新の歴史学に基づいた議論だとか。
いま書店に並ぶ「歴史読み物」は英雄伝的な人物論ばかりで、学問的な歴史研究とのリンクが切れてしまった。その背景は、日本社会を論じる枠組みの崩壊だ。冷戦下では、日本社会論を支える二つの潮流があった。一つはマルクス主義が、人物ではなく「社会構造」から日本史の全体像を描こうとした。もう一つはそれへのアンチテーゼとして、梅棹忠夫氏らによる自国のユニークさに着目する日本文化論が存在した。
ところが、冷戦の終焉とともにマルクス主義は失墜。一方の日本文化論も、「ナショナリズムの道具」と徹底的に批判された。その結果、メディアには人物論しか残らず、「国の形」を扱う大きな議論が失われた。プロの歴史学者がせっかく実証研究を進展させても、その知見を社会に還元する回路がない。そういう現状に一石を投じたかった。
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