英国最大の鉄道計画に日立が切り込めたワケ キーマンを直撃
しかし、ご存じのように英国は鉄道発祥の地でして、「それはムリだろう」と社内でもいろいろ意見があった。「ファーイーストにあるメーカーの車両が英国で完成車として売れるわけがない」というようなことも言われましたが、とにかく市場性を説明して、始めさせていただき、現地にも駐在させていただいた。
最初は2回続けて失注したんですよね。非常に信頼性の高いシステムを競争力ある価格で提示しているのにもかかわらず失注した。社内でも「そら見たことか」という感じはあったんですけれども、やはり単に日本で実績があるからということだけでは通じないなと。そこから、いろいろまた考えました。
2回続けて失注して「どうしてか」と、あるお客さんのトップに聞いたら、「確かに日立の提案はすばらしいし、日本での実績もすばらしい。そこはよくわかる。しかし、日本と環境が違うところでちゃんと走れるのか。発注するのはリスキーだ」と言われました。そこで、われわれの費用で電機品、つまり駆動装置のインバーターとモーターを向こうの古い車両に載せてテストさせていただいた。安全認証などを計画どおりに達成して、無事故で無事に試験を終えたことで、認められるようになりました。
それと最初2回失注して感じたのは、どうも表で言っていることと本音は違うんじゃないかということ。われわれが一所懸命に情報収集しても、日本人ではちょっとムリがあるのではないか。そう考えて、ローカルのマネジャーを雇いました。
もう1つ言われたのは、「日立が入札してプロジェクトを受注したとしても、本当に英国で長期的に事業をやるのかハッキリしない」ということです。われわれとしては、車両を納めるだけじゃなくて、メンテナンスも行い、長期的に車両の寿命が来るまで責任を持ってやるんだというコミットメントも合わせて行った。(受注獲得までのポイントを挙げるなら)こういったところですかね。受注するまで5年かかりましたけど。
--日立のグローバル展開という課題があって、鉄道事業では英国をまずターゲットに進めたということですね。英国をスタートさせたのは99年ですが、植田さんは、これまで鉄道の海外展開にどういう形でかかわってこられたのですか?
私は入社以来、鉄道(部門に所属)でして。最初は水戸事業所に設計で入ったんですが、82年ごろに東京に来て、輸出の手伝いをしていて、南アフリカに駐在をしたんですね。当時、南アには石炭運搬用の電気機関車を納めていて、そのプロジェクトをまとめていた。その後、ものすごい円高になって、もう輸出はムリだということになり、その後は国内で仕事をしてきました。