実際、「別のところ」で、できればフリーターや派遣社員ではなく、有名大学の大学院学生とか一流企業の社員とか、国家公務員・地方公務員とか、新人賞を取った後のプロの作家志望とか、医者とか、一応評価される地位と収入を得てから、哲学塾に「参考程度に」入塾する人は、長続きするようです。
彼らは、哲学によって生活を立てようという気もなく、名をあげようという気もなく、ある程度社会的に報われているからこそ、ゆったり余裕をもって哲学に対することができる。「哲学塾」をうまく利用して、哲学を自分の生活や仕事に摂り入れることができる。
哲学に何も期待していなかったから、続けられた
「哲学塾」、すなわち哲学とうまく距離を置いて「つきあう」ことによって、徐々に自分の身体を哲学的身体に改造し、定年後に本格的に哲学にのめり込んでもいい。あるいは、生活に困らないだけのカネを溜めた時点で、哲学に没頭してもいい。
これは俗世間で人生の虚しさをイヤというほど体験した後に、真実を知ってから死にたいという、なかなかシブトイ生き方です。何を隠そう、これは私が若いころ描いていた夢なのです。とはいえ、私はそれほど器用ではなく「俗世間で人生の虚しさをイヤというほど体験」する能力がなかったので、初めから哲学にしがみついたというわけで、いま想い起こすと、相当危険な道を歩んできたと思います。
いろいろの本に書きましたが、私は法学部を卒業して「まともに」生きたかった。哲学を軽蔑し、それだけはしてはならないと思っていた。しかし、結局それしかできなかった。私が50年以にわたってとにかく哲学を続けてこられたのはこのためで、すなわち哲学に何も期待していなかったからだと思っています。
最後に、私の大好きなパスカルの言葉を挙げておきましょう。
「哲学を馬鹿にすることこそ、真に哲学することである」
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