連載をしばらくお休みにしていましたが、今月から再開です。これを機に、テーマは狭い意味の哲学に限らず、もっと広げていいのではないか、とくに社会、あるいは世間がいかに哲学を「嫌うか」というテーマを追及しようと思い立ったのです。
これは、ずっと昔(1995年)に『哲学の教科書』(講談社学術文庫)に書いて以来の私のテーマです。世間は一応哲学を「崇めるふり」をしながら、じつのところちっとも尊敬していないこと、いや、無視するならまだしも、実生活とぶつかり始めるや否や「ひねりつぶそう」と全力を傾けることです。
息子や娘が「哲学をしたい」と言い出すと…
日ごろ「哲学はやはり生活に必要ですなあ」とか「もっと哲学を取り入れなくっちゃ」と余裕をもって語っている男女(とくにインテリ)でも、いざ息子や娘が「哲学をしたい」と言い出すや、血相を変えて、「そんなことで生活ができるのか!」とか「お願いだから、もっとまともなことをして!」と恫喝し、哀願する。私の場合もそうでした。私が法学部をやめて哲学がしたいと告白するや、父は軽蔑的まなざしを私に向け、母は「自殺するんじゃないのよ」と慌てふためきました。
じつはこれは、ソクラテスのころからそうだったのです。ソクラテスは70歳で告発され処刑されますが、その罪状は①ポリス(都市国家)の神を尊重しないこと、②青年を誘惑していること、でした。
ということは、ポリスという世間は、ソクラテスが実践していることすべて、すなわち、(ほかに何のためでもなく)ただただ真理を愛すること、そして、全生活をそれに染め上げることですが、このすべてが気に入らなかった、いや、きわめて危険だと感じ、抹殺したのです。
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