『「理工系離れ」が経済力を奪う』を書いた今野浩氏(中央大学理工学部経営システム学科教授)に聞く
--最近は理工系出身の学長も有力大学で増えています。
学内の理工系の人々は自分たちのエースに学長になってもらって、カネをどんどんもらってきてほしい。学長頑張れ俺たちも頑張るぞというラグビー部と部長の構図に似ている。ただ理工系学長はいいところと悪いところが拮抗しがちだ。
工学部は10年とか20年の理解のスパンで考える。ところが、理学部はニュートンとかガウスとか、300年ぐらいのスパンで考えている。これが歴史系とかだと1000年のスパンに延びる。だから工学部は意思決定が目先になる傾向がある。時代が時代なので1000年先、300年先を見てやられても困るので、先行きを10年とか20年で見たほうがいいということだろう。
--「ものづくり」を担う人々を育成したい……。
歴史を振り返れば、1950年代の「スプートニク・ショック」以来、数学嫌いでない人は理工系に行きなさいという方向に世の中がなった。理工系の定員が拡充され、しかも国家を支える仕事ができると聞かされて、大勢が理工系大学・学部に入った。定員枠が2・5倍になることもざらだった。
たとえば民主党の鳩山由紀夫さんは工学部出身。私と同じ応用物理学科で、スタンフォードで一緒に暮らした。経済学者の野口悠紀雄さんは高校の同期で、彼も工学部に行った。それほど理工系になびいたものだ。そういうバックグラウンドもある。
いままた「ものづくり」といわれているが、スーパーエンジニアは必ずエンジニアになってもらいたい。スーパーエンジニアは金融や商社などに行かず、本来の才能を生かし国のために働いて、ほかの人を引っ張ってもらいたいものだ。そうであれば、日本はまだ相当のポジションを確保できるだろう。一時のように、優秀な学生に安易に金融なんかに行かれては困る。
--金融危機を契機に金融工学悪玉論が盛んです。
それは短絡的な発想だ。これについてはきちんと反論したい。
80年代にスタートさせた頃とは、金融工学といっても中身がガラッと変わっている。当時はデリバティブが花形で、金融工学すなわちデリバティブと思われていた。デリバティブは研究対象としても面白いし、みんなが一生懸命やって、いわば研究対象としてやれることはやり尽くした。
金融工学のフィールドははるかに広い。たとえばおカネを貸したときにそれがどのくらいの割合で回収されるかという信用リスク、ある企業がどういう価値を持っているかの企業評価、またプロジェクト評価とか、金融技術のカバーする対象が大きく広がり発展している。