そしてここまでの問題にならなくとも、例えばまた、宮崎氏の場合では、彼は今回の彼女と数回「会った」だけでした。だいたい数回会っただけでそのような関係に入ること自体つまらぬ人間なのですが、その関係はもう終わりでしょう。彼女にとっては「過去の話」になります。
しかし夫人は、妻として母親として最も喜びにあふれているべき時に、事件が白日にさらされたのです。この日に生まれた子どもさんの誕生日がくるたびに、屈辱を思い出すことでしょう。
心ない人が、その子どもさんにこの不倫事件のことを耳に入れるかもしれません。このように、背信行為のダメージは、のちのちまで引きずります。バレなければ良い、夫婦関係さえ壊さなければ良い、という問題ではないのです。
不倫は無責任と不誠実性の象徴
石田純一さんが今の時代に「不倫は文化だ」と言っても、以前のようには担がれないと思います。今では裏切られた妻に同情するというよりは、そんな発言をする当事者の信用問題に直結するのではないでしょうか。これは歓迎すべき風潮だと思います。
ここで強調したいのは、夫の不倫を(妻側からの不倫も昔からあるようですが)、最初から小さな問題だと受け流してはいけないということです。これは精神的な犯罪なのです。その心には、多方面に及ぶ無責任や不誠実性が隠されているからです。自分さえ辛抱すれば、小さな問題で収まるとは限らないのがこの問題です。
しかしながら、病気にも犯罪にも、復活できる道は用意されています。もし妻として夫の復活の道を共に歩くと一旦決めたなら、ブレることなく、よき伴走者となるべきです。アメリカの大統領候補を含め、そのための教科書や見本には、事欠きませんから。
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