なぜマザーハウスはジュエリーを始めたのか 「外れ値」を見つめる目差しの原点にあるもの

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小学校を卒業した山口の人生は、一変した……悪い方向に。中学に入ると髪を金色に染め、タバコを吸い始めた。いじめられっ子が、尖がることで身と心を武装したのである。

山口が素材や技術、職人を発掘することからすべての商品が生まれている(撮影:今井康一)

いわゆる「不良」になり、荒れた生活をしていた山口の転機は、突然、訪れた。道場で女の子が男子を投げ飛ばしているのを目撃して、「カッコいい! 私も強くなりたい!」と勢いで柔道部の門を叩いたのだ。もともと、グレたくてグレていたわけではないから、不良を卒業して柔道に打ち込んだ。

すると、もともと素質があったのか、あれよあれよという間に強くなり、中学3年生のときに埼玉県大会で優勝。元いじめられっ子の不良が一躍脚光を浴びる存在になり、初めて自信と手応えを得た山口は「いい意味で注目を浴びるのって、気持ちいいな。今度は全日本の舞台に立ってみたい」と本腰を入れて柔道に取り組むことを決意。女子柔道の強豪校からのスカウトもあったが、「その学校のエリートを倒したい」と、あえて男子柔道で50年間埼玉一という超名門の工業高校に進学し、「入部させてほしい」と直談判した。

ここでまた、アウトサイダーになった。

その高校には女子柔道部がなく、部員の保護者から反対の声も上がるなかで、監督から「絶対に優勝するなら」という条件付きで入部を許可されたのだが、女子部員は山口ひとり。練習相手は全国を狙うような男子しかいないため、まるで歯が立たない。立ち向かっては力で押さえつけられるということを繰り返しているうちに自分の柔道を見失い、地区大会ですら勝てなくなった。それならと、女子大の柔道部に出稽古をしたり、練習量を増やしたりと思いつく限りの手を尽くしても結果が出ず、山口の中学時代を知る柔道関係者の間では「終わったな」とささやかれ、気づけばかつての自分と同じように孤立していた。

「男子柔道部に入るという意思決定自体が、そもそも間違っていたと後悔しました。さらに靭帯が切れたり、鼻が折れたりとケガも相次いで、本当に真っ暗でしたね」

県大会を制し、全国7位に

何をやってもうまくいかないまま迎えた、高校最後の大会。ここで山口は突然、吹っ切れた。「なんのために、この学校に入ったのか。誰よりも練習してきたのは私だ」と開き直ると嘘のように体が動き、向かってくる相手をバタバタとなぎ倒して、終わってみれば県大会で表彰台のいちばん高いところに立っていた。

これで勢いがつき、全国大会でも7位入賞。3年間、容赦のないスパルタ指導をしてきた柔道部の顧問も「やっと目を覚ましたか」と胸を撫で下ろしたことだろう。

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