(第29回)<米倉誠一郎さん・前編>ビートルズから自由を学ぶ

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(第29回)<米倉誠一郎さん・前編>ビートルズから自由を学ぶ

今回は、一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎さんのお話です。
 小学生の頃は悪ガキ大将、中学、高校時代はスポーツに力を注ぐ一方で、小説家をめざす文学青年でもあった。ビートルズに衝撃を受け、大学時代はバンドに熱中。
 留学経験をしたからこそわかる日米の教育のあり方の違いや、自身の体験談をもとに、「学生時代は役に立たないことこそ、たくさんすべき」と、お話くださいました。

●ガキ大将だった幼少期

 小学校のときに、担任の先生が家庭訪問で、「君は絶対に中学にあがれない」と言われたことがありました。
 僕は、今思うと多動症だったと思うのです。前を向いて座っていられない。ありとあらゆることに興味があって、授業中だろうがなんだろうが、周りに話したくてしょうがない。今だったら適切な「処置」をされていたような、そんな子どもでした(笑)。母は「先生は見る目がないね」って、フォローしてくれたんですけどね。
 僕らの子どもの頃にもいじめはありましたが、今のように陰湿ではなかった。いわゆるガキ大将とその他、という感じで。僕はどちらかというと、悪ガキ大将でしたね(笑)。

●戸山高校での思い出

 都立戸山高校では、アメリカンフットボール部(当時はタッチフットボール)に入りました。学校始まって以来、最も下手なクォーターバックだったと思いますが、「クォーターバック以外はやらない!」って主張し続けて(笑)。戸山高校のアメリカンフットボール部は、今は結構強いですが、当時は弱小クラブでした。
 そして、僕は小説家になろうと本気で思っていました。私小説を出版している国語の先生がいて、その先生に「文才がある」と言われたのです。すっかりその気になって、小説を書いて先生のところに持っていったのですが、その場で捨てられましたね(笑)。

 学生のときはまったく勉強しなかった。戸山高校の生徒は東京大学をめざす人が基本的に多いのですが、僕は150人中149番という程度で、150番目は病気で途中退場だから、実質ビリです(笑)。本は読んでいましたが、東大を受けようと思って、結局、浪人しました。そうしたら、同級生の友人が、「おまえ、東大、東大って言うけど、どうせ受からないだろう」と。「そんな気もしなくはないな」とあっさり認めてしまう僕。彼は公認会計士をめざして一橋を狙っていたのです。「一橋っていうのがあるぜ!」ってね。僕は東大しか知らなかったんです(笑)。試験日が同じで、一橋が午前、東大は午後だったので、一日に二つ受けられる。それはベリーグットアイディアって思ったのですが、ところが道路が混んでいて、東大の受験は遅れてしまい、それで一橋だけに受かった。こんなこと一橋ピープルには絶対に言えないね(笑)。

●ビートルズから学んだ「自由」

 1960年代後半から70年代というと、ベトナム戦争や安保闘争があった頃。そんな時代に、僕はビートルズに大きな影響を受けました。
 世界の知識人がビートルズについて語った『In My Life: Encounters with the Beatles』という本があるのですが、その中で当時オックスフォード大学の学生だった文学研究者がこんな自分の体験を紹介しています。友人が持ってきたビートルズのシングルレコードを初めて聴いた瞬間、衝撃で口がきけなくなった。「アゲイン」「アゲイン」と何十回も繰り返し聴いた、と。
 僕もこれと同じくらいの衝撃を受けました。頭の中をなにかが駆けめぐっている。これはなんだろうと考えたとき、「自由だ!」ってね。イノベーションに一番重要なのは、精神の自由ということです。身体はくくられても精神は自由ということ、それをビートルズが教えてくれたのです。

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