今回は、「体操のお兄さん」として長年親しまれている、タレントの佐藤弘道さんのお話です。テレビ番組で子ども達と触れ合う姿はお茶の間でもおなじみですが、現在、子ども達や指導者のための体操教室や保育士講習会を開催するなど、ご自身で立ち上げたスポーツクラブの活動も盛んです。
そんな佐藤さんの子ども時代の夢や、ケガをして夢破れたときのことなど、思い出話とともに、今の教育についてお話しいただきました。
●テレビのヒーローに憧れて
体操の選手になりたいと思うようになったきっかけは、小学生の頃、テレビでモントリオールオリンピックを見たことです。そもそも、男の子って、ヒーローものに憧れます。ウルトラマンも、仮面ライダーも、ゴレンジャーもそうですけど、悪者をやっつけるときに必ずクルクルって回る。あれがオリンピック選手と重なったんですね。ああいう正義の味方になりたいと思っていたところに、クルクルっと回っている体操選手を見て、「これだ!」と。だから体操の選手になろうと思ったのです(笑)。
●外で遊ぶのが好きな子
小さな頃から家の近所の警察署に通い、柔道を習っていました。体を動かすことが大好きでした。当時は、近所の子ども達と空き地や空き家を探検したり、放課後に校庭でラケット野球をしたりしていました。その頃、東京で一番はじめにできたスポーツクラブが中野にあり、スイミングや体操教室に通いました。でも、それもほんの2、3ヶ月くらい。クラブに行くより、みんなで遊んでいる方が楽しかった。ガキ大将ではありませんが、遊びの中心にはいました。
勉強は、小学生の頃はほとんど意識しませんでした。塾は中学生になってちょっとだけ通いましたが、ほとんど行かず、外で友だちと遊んでいることが多かったです(笑)。
子どもの頃、風呂は銭湯でした。小銭が欲しいため、銭湯に行かずに公園で頭を洗ったりして、カードゲームを集めていました(笑)。
●小学生の頃から日体大に行きたかった
小学生の頃から日体大(日本体育大学)に行きたいと思っていました。オリンピック選手のテレビのテロップには、みな、名前の横に「日体大」と書いてありました。日体大に行けば、みんなオリンピック選手になれると思っていたんです(笑)。小学校でも、中学校でも、高校を受験をする時もずっと「日体大に行きたい」と言っていました。そうしたら、「日体大の系列校があるよ」と言われ、そこなら学校推薦してやるということで日体荏原高等学校に推薦で入学しました。だから受験勉強はしていないんです(笑)。
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