今回は、プロテニスプレイヤーとして世界を舞台に活躍している杉山愛さんのお話です。5歳からテニスを始め、17歳でプロに転身。「宿題をやらなければテニスには行かせない」と言われるほどテニスが好きだった少女時代。学校生活とプロのテニス選手としての活動を両立させていく中で、支えとなってくれた友達や家族についてなど、お話くださいました。
●衣装に憧れ、フィギュアスケートとバレエも習う
テニスを真剣にやり始めたのは小学校2年生のとき。それまでは、自分がやりたいと思っていたスポーツや習い事を両親は全部やらせてくれました。たとえば、フィギュアスケート、体操、クラシックバレエなど。ピアノも少し習いました。それぞれ週一回の習いごとで、テニスもその中の一つでした。小学校2年生の時に家の近くにテニスアカデミーができ、それを機にテニスだけに絞り、集中して週4、5回のペースでレッスンを受けていました。振り返ると、忙しい小学生でしたね。
フィギュアスケートにしても、クラシックバレエにしても習い始めたきっかけは、コスチュームに憧れて(笑)。女の子らしい、きれいで素敵なものに憧れていました。テニスは両親がやっていたので、コートについていき一緒に打ったりしていくうちに、すごく楽しいなあと思って始めたのです。
10代の頃までは、テニスを辞めたいということは一度もありませんでした。25歳ぐらいになって初めて壁にぶつかりましたが、小・中・高校生の時は本当に好きで好きでやっていました。母にも、「宿題をやらなかったらテニスに行かせないわよ」と、逆手に取られていたぐらい、すごく好きでした。
●勉強も校則も厳しかった女子校時代
中学は私立の学校に通っていて、すごく勉強が厳しく、授業の進むスピードが速かった。その時もう既にテニスを本格的に始めていたので、学校を少しでも休むと取り戻すのがすごく大変だったという記憶があります。 学校は校則がとても厳しくて、髪型に関するエチケットチェックだけでも週に一回は必ずありました。自由な雰囲気というよりは勉強も大変、校則も厳しいという印象でした。中学の頃は、テニスの海外遠征で、2週間以上学校に行けないこともありました。そのようなときには、親友が、私のために授業のノートをまとめてくれて、大切なところやテストに出ると先生が言ったところをチェックしてくれていました。彼女がいなかったら、中学校を卒業できなかったんじゃないかと思うぐらい助けられていました。 彼女とは今でも親しくお付き合いしています。彼女のような、人生において本当に大切な時間を一緒に過ごしてきた友人は、数は少ないですけれど、本当に大切だなと感じます。
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