人間にマンモスを作り出すことはできるか 「脱絶滅」が生態系の復活を可能にする

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

その議論と検証の過程は非常に現実的なものだ。まず「脱絶滅」とはどういう状態のことなのかを定義することからそれは始まる。絶滅した種をこの世によみがえらせるってだけのことじゃないの?と一読して思うかもしれないが、考えてみるとこれがなかなか奥が深い。

マンモスの場合

たとえば、仮に技術的にマンモスを再現できたとして、それを保護施設に2、3頭置いてギリギリ生きながらえさせることが「脱絶滅」といえるのかということである(ほぼ絶滅している)。もしくは、毛むくじゃらのゾウっぽいものが生み出せたとしてそれを「マンモスの脱絶滅」にみなせるのかかということでもある。ゾウとマンモスをどう区別するのかゲノムの割合で判定するにしても、何パーセントの相似からマンモスはマンモスになるのか? このへんはまあ、人によって定義は異なるという他ないだろうが、著者はひとまず下記のように脱絶滅を定義してみせる。

「わたしはこの状態──復活させたマンモスのDNAのおかげで、マンモスがかつて生活していた場所で生活でき、マンモスが活動していたように活動できる動物が誕生すること──を脱絶滅の成功と呼びたい。たとえ、その動物のゲノムがどう見てもマンモスよりゾウに近かったとしても」

 

だが、「なんのための脱絶滅なのか」という問いかけへの答えによって、脱絶滅の定義も変わってくるだろう。ただ見世物にしたいだけならば、最悪「見た目」だけでも再現できればいいだろう。はたまた、マンモスをよみがえらせてゾウが生存することのできない北極の地に放し、現行のツンドラを氷河時代の冷涼ステップに作り変えるような「環境変化」を起こすことを目的にするのであれば、著者のようなアプローチ(=ゲノムはともかく、少なくとも同等の機能を備えている)が適していることが重要だ。

「わたしの考えでは、種の復活ではなく生態系の復活こそ脱絶滅の真価だと言える。わたしたちはどんな形の生命をよみがえらせるかではなく、どんな生態学的な交流を復活させたいかという観点で脱絶滅を考えるべきだ。既存の生態系から何が失われているのか、それが回復可能なのかを問わなくてはならない。脱絶滅はいわば、進化によって誕生したはいいが残念ながら失われてしまった種をモデルに用いて生物を創造する緻密な生物工学プロジェクトなのだ」

 

そうはいっても問題は山積みだ。復活させた種が予想どおりに生態系に当てはまってくれるのかどうやってシュミレーションしたらいいのだろう。人為的に生態系へとコントロールを加えるのは妥当なのだろうか。絶滅した理由がはっきりしていないと、脱絶滅させ同じ環境に放してもまたすぐに絶滅してしまう。

次ページ技術的な部分
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事