安田菜津紀、未来に綴る手紙のような写真を 「家族とは?」という疑問を持ち続けた思春期

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シリアでもカンボジアでも、力の弱い子どもたちから傷つけられてしまう。そんな現実を伝えることが安田にとって写真表現を行う動機であるわけだが、シリア難民のキャンプでのある親子との出会いから、写真のより根源的な存在意義に気づかされたという。

お母さんにとってのアブドラくんの写真

内戦が続くシリアの隣国ヨルダンで、難民として逃れてきたアブドラくんという少年に出会った。そのお母さんとも触れ合ううちに、シリアの現実を伝えられるはずだと考え、安田は継続的にアブドラくんを撮影した。

「アブドラくんは内戦の爆撃被害にあい、ガラスなどの破片が無数に頭に突き刺さり手術痕もたくさんある子でした。寝たきりでほとんど動けない状態なのですが、撮影で通ううちに、体を起こして帰り際に手を振ってくれるようになったんです。お母さんと『次はもっと元気な写真を撮れそうだね』なんて喜んで話していたんですが、2週間後に容体が急に悪くなり、亡くなってしまったと連絡がありました。アブドラくんが亡くなる前、病室に横たわるアブドラくんの写真をお母さんに渡したことがありました。決して幸せな瞬間を写したものではありませんでしたが、お母さんがとっても喜んだんです。“シリアから持ち出せが思い出の写真が、殆どなかったから”と。それが手元に残った最後の思い出になってしまったのかと思うとやるせないですし、写真が人の命を直接救えないことに、たまらなく悔しさがあふれました」

そんなシリア難民の取材を、震災後の宮城県の小学校で生徒たちに話す機会があった。1年生と6年生では話の理解度は違うため、安田は話し方や内容を苦心して考え準備した。内戦前のシリアの写真を見せると、1年生の子でも「きれい!」「なんでこんなきれいな街を壊さないといけないの?」と、自分が写真で伝えたいことを一瞬で受け取ってくれた。そこに伝えるメディアとしての写真の強さを改めて感じた。

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