安田菜津紀、未来に綴る手紙のような写真を 「家族とは?」という疑問を持ち続けた思春期
「私の夫の両親が、岩手県陸前高田市に暮らしていたこともあって、震災後すぐに陸前高田に向かいました。復興のボランティアをしながら写真も撮っていたんですが、最初はカメラを向けて人を傷つけてしまうかもしれないことはもちろん『こんなときになんで写真なんて撮ってるんだ!』って思われるのが怖かったです。しかし、震災のように何かあったときの直後ほど、写真を撮っておくべきだと今になって強く感じています。そこには、町の人たちがどうやって乗り越えたのかが記録され、次に災害が起きたときのヒントにもなりえるかもしれない。報道のように知られていない現実を多くの人に伝えることともう一つ、未来に手紙を綴るように残す写真があるんだということに、震災後の陸前高田で撮影を続けるうちに気づかされました」
最近始めたのは「お看取り」の撮影
安田の義理の父と母は18歳で出会い、40年近くを共に過ごした。それが、2011年3月11日の津波で義母は行方不明となり、1ヶ月も経つころに遺体が確認された。その瞬間、義父にとっては一緒に過ごしていた時間の流れがブツッと断たれてしまったのではないか。「最後まで自分らしくいられる亡くなり方とは、どのようなものなのだろうか?」という問いかけが安田に生まれた。
「社会の高齢化が進むにつれ、病床数に限りが生じてきたため、誰にも看取られずに亡くなってしまう『看取り難民』と呼ばれる方が出てきているんですね。であれば、自宅で、最後まで自分の空間を大事にしながら自分らしく過ごす、という選択を増やしていけるのではないか。医療の現場でもそんな試行錯誤を行っているそうなんです。そんな場を撮影して、写真で何かを伝えられるのではないか。まだ私も撮影を始めたばかりなので自分の感覚をうまく言語化しきれていないのですが、訪問看護師の方と一緒に家庭に入らせていただいて、末期ガンの患者さんがいるご家庭などを撮影させていただいています」 ある一緒に暮らしている恋人同士を撮影したときは、彼女が彼よりもだいぶ年上で末期ガンを患っていて、自宅で最後の時間を一緒に大切に過ごしている二人だった。最後まで自分らしくあることにこだわる二人は、介護用ベッドを利用すると一緒に寝られないので、普通のベッドにクッションを増やすなどの工夫をして並んで眠り、一緒に食事をし、好きな音楽を一緒に楽しんでいた。そして、介護用タクシーを手配して好きなバンドのライブを一緒に見に行く日が、お看取りの日となった。
「もちろん残されたパートナーの方にとっての悲しみは計り知れないものですが、しかし、最後までじぶんらしくあれた誇りというか、尊厳というか、それが心の中にあるだけで、『好きなライブを夢見ながら旅立ったんだね』と何か晴れやかなものを持てると思うんです。亡くなったあとに彼のお宅を訪れたら、私が撮影した写真の奥さんに向かって『写真家さんが来てくれたよ』と話しかけていましたし、写真が亡くなった後にその人と出会える窓になっていくんじゃないかなと感じました」
まだ始めたばかりなので、経過報告なのだと安田は強調するが、今後も撮影を続けながら作品の意味づけを明確にし、写真のまとめ方を考えていくのだという。彼女の知性と行動力が、その方向性を切り開いていく。
(監修・寺本 誠 文・中島良平 写真・湯浅 亨)
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