安田菜津紀、未来に綴る手紙のような写真を 「家族とは?」という疑問を持ち続けた思春期
その強さと優しさに触れ、帰国後には「どうやったらあのような子たちを減らすことができるのだろう」「自分も彼女たちに何かお返しをしたい」と考えた。ネットで雑誌社を片っ端から検索し、カンボジアで子どもたちと触れ合った10日間の記事を書かせてほしいとメールして、その機会にも恵まれた。 「経験したことを表現するために、自分としては文字で表現することにしっくりこない部分がありました。伝えきれないと感じたんです。もっと手触りがあって、私がみんなと出会ったときの感覚をより伝えるためにはどうしたらいいかを考えたときに、写真という方法に行き着いたのです」
アンゴラで撮影された1枚の写真との出会い
高校3年のときに、世界の紛争地が被写体の報道写真展に足を運んだ。そこで1枚の写真が強く印象に残った。アンゴラの難民キャンプで、がりがりのお母さんのおっぱいに赤ちゃんが吸い付いている写真だ。
「子どもを守る意志の強さが目に込められていて、カンボジアで会った子たちの目をすぐに思い出したんです。家族を思う意志の強さでしょうか。その写真との出会いはとても強烈で、記憶に強く刻まれました」
それから大学に入り、「国境なき子どもたち」の事務所に訪れる機会があった。一人の報道写真家と出会った。渋谷敦志氏という人物で、安田が報道写真家から連想する「ムキムキなタイプ」でもなければ、小柄で穏やかに話す人だった。事務所から家に帰り、どんな写真を撮る人なのか検索したら、高3のときに見たアンゴラの写真を撮ったのが渋谷氏だったのだと知る。写真への興味について氏に話してみると、「何を撮りたいかはわからないけど写真を撮りたい」のではなく、「何を伝えたいのかがはっきりしている」のであれば、どんどん撮影に挑戦したほうがいいとアドバイスをもらった。そこから安田は、本格的にフォトジャーナリストを志すようになった。
「写真に残るのは一瞬の光景なので、私は心が震える瞬間にシャッターを切っているんだと思います。しかし、あくまでも伝えるために撮影をするので、まず人と出会い、そこで触れ合って、会話をしながら時間を共有することが大前提です。そのためには、自分のことも相手に伝える必要がありますし、コミュニケーションの延長にシャッターを切る瞬間が生まれるわけです。ある状況を見て、その状況を伝えるために、そこにいる人と触れ合うことが自分にとっては一番大切なのです」