(第38回)<森下洋子さん・前編>「娘はバレエにあげちゃった」親の勇気に感謝

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●子どもと離れる親の勇気

 11歳の時にバレエを一生の仕事にしたいという思いを強く抱き、単身上京しましたが、寂しいという気持ちはまったくありませんでした。バレエが毎日できるのだという環境が嬉しくて仕方がありませんでした。
 広島から東京へ私を出さなければならなかったとき、東京には親戚もいませんでしたので、私よりも親の方がつらかったと思います。しかし、「娘はバレエにあげちゃったのだ。自分たちの知らない世界のことだから、お金は出すけど、口は出さない」と、覚悟を決めたようです。そういう意味では、親がすごく勇気をもって行動してくれたと思います。

 親にしてみれば、本来ならずっと私の側にいたいのでしょうが、むしろ側にいてベタベタするよりも離れて遠くから見守ってくれたことに、今ではとても感謝しています。
 私は「親にあれだけ信頼されているのだから、しっかりしなくては」と思い、自分でもできるという自信が持てるようになったのです。
 今の親御さんは、なかなか子離れできない人も多いようですね。うちの両親はすごく勇気があったと思います。妹は私がいなくて寂しい思いをしたようで、広島に帰ると私がすることと同じことをして、ベッタリくっついていましたね(笑)。

●「プリマ」というリーダーの資質

 上京して、私が通っていた橘秋子先生のバレエ学校は厳しかったけれど、子どもを育てるには本当によい学校だったと思います。
 しかし、学校なんかに行かなくていいというようなバレエ学校でしたから、学校の行事には全然参加できませんでした。ケガをしてはいけないという心配もあり、運動会や修学旅行に参加するなら、バレエのお稽古をしていなさいということでした。

 バレエ学校で何より厳しかったことは、バレエができてもただ技術だけではなく、人間としてしっかりとした考えを持っていなくてはならないということです。このことは、バレエの技術よりも、厳しく指導されました。
 たとえば、主役を踊るとして、群舞など何百人の人が舞台で一緒に踊るのです。帝王学ではありませんが、プリマは必然的にしっかりしていかなければなりません。舞台に出演している人だけではなく、オーケストラをはじめ、舞台を支える人たちが何百人もいるということ、それを自分が背負って立つのだからよほど人間として、人に尊敬されるようでなければならない、そして、多くの人に感謝をしなければならない、と教えられました。
 そのために、お料理、縫い物など何でもできるように努力し、主役だけではなく、群舞も、その他のこともすべてから学ぶ姿勢で取り組みました。

 これらのことはすごくいい勉強になりました。すべてが表現力につながっていくのだと思います。リーダーになるのだったら、自分自身を磨いて、感性を磨いて、周りの人を想うこと。心を磨くことが最も大切なことで、それによって人の品格、人格というのが出てくるのだと思います。
(取材:田畑則子、撮影:戸澤裕司


森下洋子<もりした・ようこ>
1948年、広島県生まれ。
3歳よりバレエを始め、洲和みち子、橘秋子氏に師事。その後、松山バレエ団のメンバーとなり、松山樹子氏に師事し、2001年より同団長を努める。数々の国際コンクールで芸術賞を受賞。日本はもとより、アメリカ、欧州、中国など世界各地で活躍。1985年英国ローレンスオリビエ賞受賞。1997年女性最年少の文化功労者として顕彰される。2002年日本芸術院会員に就任。2006年舞踊歴55年を迎えた。
著書に『バレリーナの情熱』(大和書房)など。
松山バレエ団公式サイト
http://www.matsuyama-ballet.com/
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