今回は、バレエ歴57年目を迎えた現在も、舞台で輝き続ける世界のプリマバレリーナ、森下洋子さんのお話です。
身長150cmという小さな身体を感じさせない圧倒的な存在感で、愛らしく、力強い演技で観客を魅了する森下さん。3歳でバレエと出合い、「一生続けていく」と心に決め、広島から11歳で単身上京。先生や友達、周囲の人々に支えられた学校生活について、また、バレリーナとして大切にしていることなど、お話いただきました。
●バレエのために、11歳で単身上京
私は広島生まれです。3才でバレエを始め、小学生になってからは、夏休みや冬休みには電車に乗って東京まで、バレエのお稽古に通っていました。それでも、ついに我慢ができなくなり、東京に出してもらいたいとお願いして、小学校6年生のときに親元を離れ東京に出てきました。そのとき、転入した東京の小学校の担任の中尾先生が、
「みなさん、みなさんが待ちに待った森下洋子さんが、とうとういらっしゃいましたよ」
と、私のことを紹介してくださったのです。きっと、私が転校してくる前に、先生がクラスのみんなに、私のことを話してくださったのだと思うのです。今から40数年前のことですから、バレエのために親元を離れて東京に出てくるなんて考えられません。お父さん、お母さんと離れて一人で東京に来たのだということを、前もって話してくださったおかげで、みなさんにものすごく温かく迎えてもらいました。このときのことは、今も忘れられません。
●先生や友達に支えられた中学、高校時代
小学校から武蔵野第一中学に進みました。小学6年生の友達が中学でも一緒でした。そして、嬉しいことに、その頃の友達が、いまだに、私の公演を観にきてくださるのです。「洋子ちゃん、洋子ちゃん」って、男子も女子もみんな(笑)。さらに、その輪がどんどん広がり、今度は友達のお嬢さんがいらしてくれたり、本当に嬉しいことです。
お友達はみな、学年でも5番、10番以内に入るような秀才ばかりで、私はお勉強ができませんでしたから、一生懸命教えてくれたり、テストのときに見せてくれたりする人もいて(笑)、助けてもらっていました。
中学生の時は、バレエ学校に寄宿していたので、食事もお弁当も自分で作っていました。お友達の家に寄ると、「たいへんでしょうから」とお母様がお菓子を持たせてくれたり……。親元にいないということで、友達も、そのご両親もみんなで助けてくれました。
高校に進学すると、バレエで忙しく、ほとんど学校に行けませんでした。けれども、先生によっては、「私の時間は眠っていていいわよ」なんておっしゃってくれたりね(笑)。それは、私が舞台だけではなく、衣装を縫ったり、自炊したり、すべて自分一人でやっていることを知っていてくださったからなのです。
高校三年の担任の先生は、単位が足りない、出席日数が足りないという私をなんとか卒業させようと考えてくださり、3学期だけはとにかく出席しなさいということで、3学期だけは学校に行き、無事に高校を卒業することができました。先生は、「君のおかげで、学校の資料をたくさん読み直したよ」なんておっしゃられてね(笑)。
また、高校生のときも、学校のみんなで舞台を観にきてくれ、客席の上の方が制服でいっぱいになった様子にとても勇気づけられました。校長先生や教頭先生からも、舞台の後に丁寧なお手紙を頂いたり応援してもらいました。
私は、みんなが観にきてくれることで頑張れたし、みんなはみんなで、私の踊りを観ると元気をもらった、「また僕も頑張れるよ」なんて帰っていくのです。
こんな風に、バレエの友達も、また、普通の学校の友達もいまだに私のことを大切にしてくれて、すごくありがたく、恵まれたことだと思っています。
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