彼らに接する上で私が気を付けているのは、目の前にいる生徒を本質から理解するという姿勢を貫くことです。「かけひき」や「技術」に走ると、彼らはたちまち逃げ出してしまいます。私は自然に、どうしたら目の前にいるその生徒を救うことができるか、どうしたら本人の現在の能力を最大限に発揮させることができるか、考えるようになりました。
でも実は、色よい答えなどありません。考えた揚げ句出した答えはなんでもないことで、それはただ「勇気」の出る言葉を授けることでした。
この時期、科目別に「できていること」「できていないこと」など学習内容を精査することは確かに重要です。しかし、この期に及んで四の五の言っても始まりません。賽(さい)はまさに投げられようとしているのです。その意味から今日はまず、私が背中を押すべく生徒たちにかけていた言葉を、2つほど紹介したいと思います。
「冬来たりなば、春遠からじ」
1つは、パーシー・ビッシュ・シエリーの次の言葉。「If Winter comes, can Spring be far behind?」(冬来たりなば、春遠からじ)。先日も生徒たちに話をする機会があり、この詩句を引用したところ、多くの生徒が納得感を持ってくれたようです。私は以下のように続けました。
「努力を続けてこなかった者には、春は訪れない。しかし、程度の差こそあれ努力を続けてきた者には、少なくとも春の訪れを期待する権利は与えられる。いつまでも続く苦しみなどない。
ただここが難しい。われわれが目標に近付けば近付くほどそれに比例して困難が増してくるからだ。しかし、時がまさに熟しつつあるのに、そこで我慢をできなければ、苦しみが勝手に逃げ出していくことはない。今、あなたたちに意気地がなければ、寒い冬は続き、光が差すことはない」
もう1つの言葉は、ある生徒とのやりとりの際に、ふと出た言葉です。かつて、入試直前に恋愛絡みの悩みを抱えている女子生徒がおりました。12月に入り、彼女は交際していた人と別れ勉強に専念することにしたのですが、いきなり別人になろうとしても、そうなれるものではありません。
プライベートな領域の話なのでこちらから声をかけることはしませんでしたが、合格できる力のある子だけに、私も心中穏やかではありません。そんなある日、その女子生徒から「少し話を聞いてもらえないか」と言われ、外で立ち話をする機会がありました。
うまく切り出せないのか、彼女がすまなさそうに私のほうを見ていたそのとき、私たちのいる場所を冬の冷たい風がサーッと吹きすぎたのです。私はとっさに「風立ちぬ。いざ生きめやも。ということかな」とつぶやきました。彼女は、一瞬首をかしげましたが、私が「風が吹いている。力強く生きなければならない」と言うと、うんうんとうなずきました。彼女は無事に医学部に合格し、今は眼科の医師として活躍しています。
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