〈借金人間〉製造工場 “負債”の政治経済学 マウリツィオ・ラッツァラート著/杉村昌昭訳 ~「借金奴隷」の実像を哲学的洞察力で解明
フランスでは子ども一人が誕生すると、2万2000ユーロの負債を負うという。国家の債務である。債務はしかし、際限なく膨張しつづけている。人々は死んでも完済することがない。そんな無限の債務が可能となった背景には、公債を証券化する金融資本主義の技術があった。だがその仕組みがいま、至るところで危機に見舞われている。
ギリシャ危機、スペイン危機、そして日本の危機。危機が続く中で、それでも債務は膨らみ続け、人々はその返済のために働かされる。そんな苦境に追いやられた「借金人間」の実像を、驚くべき哲学的洞察力で解明したのが本書である。
そもそも私たちは、好きで借金しているわけではない。生まれたときから借金奴隷となり、しかも借金を「返済すべし」という罪悪感=経済倫理を植えつけられて苦しんでいる。そうした奴隷根性からニーチェとともに解放されようというのが本書の主張なのであるが、問題の根本はどこにあるのだろう。
歴史上の大きな曲がり角は、1979年にあった。当時の米国連邦準備制度理事会のポール・ボルカー議長は、高金利政策とともに、膨大な公債を発行する政策に出た。以降の新自由主義は、福祉政策を見直す一方、国家の債務を増大させ、それを資源に各種証券を生み出し、個人の資産形成を促してきた。つまり新自由主義とは、最初からして「大きな政府(借金国家)」を前提とした資産形成社会だった、というのがラッツァラートの理解である。