プロ野球を2度クビになった男がつかんだ宝 細山田武史は、それでも腐らずにやり続ける

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当時2軍監督だった田代富雄(同年5月に1軍監督代行となる。現ジャイアンツ3軍コーチ)の放った言葉が細山田のあり方を象徴している。「正直に言う。オマエはプロ野球選手としてのレベルじゃない。だけど、俺はオマエの本当に一生懸命練習する姿勢がすばらしいと思っている」。ちなみにこれを言われた細山田は「何てこと言うんですかー!」とツッコミながら、また練習へ行くのであった。

数字には出ない、最大の武器

そんな細山田のプロ1年目の成績を振り返ろう。盗塁阻止率はリーグワーストの.173で、打率は.158と投手並み。実際、この年の細山田の打率は投手である三浦大輔の.179に劣った。それでも、チーム最多の88試合でマスクをかぶっている。

西武対ソフトバンク戦で支配下選手登録され、試合前に練習する細山田武史選手=2015年4月3日(写真:日刊スポーツ新聞社)

細山田の最大の武器、それは、配球やリード面を含めたゲームを作る能力の高さにある。相手チームのデータをバッテリーコーチの福澤と研究し尽くし、投手と非常に密なコミュニケーションをとり、自分の意見を積極的に伝える姿勢に加え、ゲーム中の冷静な指示。数字では現れない細山田の魅力が、横浜スタジアムのホームベースに彼を引き寄せた。

しかし、結果がすべての世界である。目に見える数字を残すことのできない者は去りゆく運命だ。2013年、細山田は横浜DeNAベイスターズから自身一度目の戦力外通告を受ける。

「この時はね、かなり準備ができていた。前年の契約更改で、減額制限を超えた年俸を提示されて、それを受け入れられなかったらクビだったから。受け入れた時点で、その次の年にクビになることはほぼ見えていた。考える時間はたくさんあったよ」

細山田は前年、プロ4年目の契約更改で減額制限越えの年俸64%ダウンを提示され、「ご飯は吉野家にします」発言を残し、いろんな意味で注目されていた。その時点から、心の準備は始まっていたのだろう。2013年11月、雨の降る静岡県草薙球場で行われたトライアウトでは、初めてバッテリーを組む投手に積極的に声をかけ献身的にリードし、打席では必死にボールに食らいつく、いつもどおりの細山田の姿があった。その結果、ソフトバンクホークスに育成選手として入団が決まる。

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