「空きテナントが増えている」「衰退してる」と言われるが…代官山はいつ、なぜおしゃれな街になったのか?その意外な経緯

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日本初の鉄筋コンクリート造りで、食堂や公衆浴場、児童公園、幼稚園を備えていた。入居者は高所得の若者が多く、憧れの的になっていたという。

一軒の地主と一人の建築家から代官山のおしゃれ化が始まった

代官山がおしゃれな街として確立されたきっかけは、旧山手通りに面している「ヒルサイドテラス」である。

「ヒルサイドテラス」(筆者撮影)

「ヒルサイドテラス」の開発は、1967(昭和42)年に朝倉不動産の社長・専務の兄弟が、建築家の槇文彦氏へ「代官山集合住居計画」の設計を依頼したことから始まった。朝倉不動産は、代官山に住み続けてきた地主の朝倉家が立ち上げた会社である。

朝倉家が所有していた大規模な土地を、69(昭和44)年〜98(平成10)年の30年にもわたって、朝倉不動産と建築家の槇文彦氏が開発してきた。高さ制限などの規制が緩和されるなかでも、低層のラインを守り続けてきた。これにより、旧山手通り沿いに感度が高く上質な街並みがつくられたのである。

ヒルサイドテラス
旧山手通りの「ヒルサイドテラス」の街並み(筆者撮影)
近くにあるデンマーク大使館も槇文彦氏の設計である(筆者撮影)
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