「空きテナントが増えている」「衰退してる」と言われるが…代官山はいつ、なぜおしゃれな街になったのか?その意外な経緯

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代官山T-SITE
代官山のシンボル「代官山T-SITE」(筆者撮影)
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筆者は仕事でさまざまな街を歩く際、いつも動きやすい楽な服装で行く。だが今回、代官山を訪れるとなったときに、少し良い服、お気に入りの服を着ていこうと思った。昔と比べて衰退していると言われているが、今でも「代官山」はそういうイメージを持つ街だと思うから。
さまざまな街にある商業施設を、「どのようにして街を変えたか」という観点からレポートする本連載。今回は「代官山」周辺を歩く。

代官山は近年、衰退しているとささやかれているが、長らく「おしゃれな街」というイメージを持ち続けてきた。代官山はいつから、そしてなぜ「おしゃれな街」になったのだろうか。

かつてのシンボル「同潤会代官山アパート」

 代官山では縄文土器や弥生土器が発掘されており、古くから人が暮らしを営んでいたことがわかっている。

猿楽塚古墳という古墳が残っている(筆者撮影)

高台で風通しも良く、江戸時代には武家屋敷が建てられた。明治に入ると、それらは高級官僚などの邸宅となっていく。

昭和になると、代官山のシンボルは1927(昭和2)年に建てられた「同潤会代官山アパート」となった。同潤会とは、関東大震災後の復興計画に基づいて設立された財団法人である。「同潤会代官山アパート」は、ヨーロッパの集合住宅をモデルにした震災復興の賃貸住宅として建設された。

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