地方銀行の再編機運が再び高まりつつある。
2025年4月、新潟県を地盤とする第四北越フィナンシャルグループ(FG)と群馬銀行が、27年4月の経営統合に向けて基本合意したと発表。県境をまたいだ有力地銀の統合により、総資産で5位の地銀グループが誕生する。
25年9月には千葉銀行と千葉興業銀行も、27年4月の経営統合に向けた基本合意を発表。千葉県トップと3番手による県内再編となる。合併や店舗の統廃合は行わず、「2ブランド体制」にする方針だ。
さらに今年1月1日には長野県の八十二銀行と長野銀行が合併し、八十二長野銀行が発足。これにより日本の地銀は1行減り、全96行となった。
再編によって徐々に減ってはいるものの、数が多すぎるという見方は今も根強い。そもそも地銀はいかにして現在の96行体制に至ったのか。
歴史が異なる“2つの地銀”
地域に根差した金融サービスで地元企業や預金者のニーズに応える地銀だが、その歴史は大きく2つに分けられる。
1つは、明治時代の国立銀行条例を基に設立された国立銀行を出自とする地銀だ。後の日本銀行設立に伴い、それらの銀行は民間の普通銀行へと転換した。横浜銀行や千葉銀行が代表格で、規模の大きい銀行が多い。
もう1つは、庶民の相互扶助の仕組みであった「無尽」から発展した地銀だ。戦後に相互銀行へ転換した後、1989年に普通銀行へと一斉に転換した。昨年、愛知県の愛知銀行と中京銀行が合併して誕生したあいち銀行などが含まれる。
前者は「地方銀行」、後者は「第二地方銀行」としてそれぞれの協会に所属し、今もその名残をとどめている。ただし現在はいずれも「地銀」として認識されており、その垣根は低い。
沖縄返還によって県内3行が加わった1972年ごろ、当時63の地方銀行と72の第二地銀で計135の地銀が存在していた。その後は平成に入るまでの間、当時の大蔵省による「護送船団方式」によって130行近くの体制が維持される。



















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