冬にしか作れない線香花火がある…輸入99%時代に"400年の技"をつなぎ、日本最後の「藁の線香花火」を守り伝える花火師一家の覚悟
「技術が渡った先で大量生産が進み、安いものがボンと入ってきて、日本のものが衰退していく――他の分野でも、よくありますよね」
今日子さんはそう語る。
当時、線香花火の相場は、中国製が70本で100円ほど、国産は20本で100円ほど。価格差は3〜4倍あったが、品質も見た目も大差がなかったという。
問屋主導の流通では当然、安いほうが選ばれる。国内の線香花火メーカーは、次々と廃業に追い込まれた。
「玩具花火」と呼ばれる手持ち花火の製造所は全国で20数社。うち、自社で火薬を配合する会社は10社、線香花火を製造するのは3社のみだという。なかでも、西の線香花火「スボ手牡丹」を作るのは、筒井時正玩具花火製造所だけだ。
最後の1軒が消えた日
筒井良太さんは1973年、福岡県みやま市で、花火師の家に生まれた。
祖父は、ねずみ花火の考案者でもある筒井時正。1929(昭和4)年に「筒井時正玩具花火製造所」を創業した人物だ。幼い頃から良太さんは、「お前が3代目だ」と言われて育った。
高校卒業後は愛知県の自動車会社で3年働き、21歳で家業に戻る。
そのとき、スボ手牡丹を作る最後の1軒となっていた「隈本火工」を営む叔父から、ある言葉をかけられた。
「今、この線香花火の技術はうちにしかないから、お前が覚えとけ」
良太さんは叔父のもとで約3年間、線香花火作りを学んだ。そして1999年、隈本火工は廃業した。線香花火だけでなく他の花火も作りながら、ぎりぎりまで踏ん張った末の決断だったという。
技術、職人、道具はすべて、筒井時正玩具花火製造所に引き継がれた。良太さんが24歳のときだった。
ところが、受け継いだのはそれだけではなかった。線香花火が売れないという現実もまた、受け継いだのだ。


















無料会員登録はこちら
ログインはこちら