現在の立ち位置とはまったく正反対…自動車をめぐって繰り広げられた戦前の【日米関税戦争】の裏側
昭和9(1934)年には、タクシーにメーター制が取り入れられました。タクシーの台数が増えるたびに、価格競争が激しくなったために、メーター制となったのです。
これは大阪の業者が始め、すぐに東京にも導入されました。初めの2キロが40銭、その後は800メートルごとに10銭加算されるようになっていました。
当時のタクシーは、客席が広く、運転手の背もたれに仕舞われている補助席2席を使えば、客は5人乗れました(助手がいないタクシーは6人)。
そのため、4、5人で割り勘にすれば、市電より安くなることも多く、タクシーは市民の足として普通に使われていたのです。
日本車はアメリカ車よりはるかに性能が悪かった
このタクシーなどで使われていた車は、実はほとんどがアメリカ車でした。
戦前の日本が、アメリカ車だらけだったというのは、いささか奇異に映るかもしれませんが、当時のアメリカ車は日本車よりもはるかに性能がよく、しかも安価だったのです。
明治維新で近代化を推し進めるようになってまだ日が浅い日本は、アメリカに比べれば自動車製造業の発展はかなり遅れていたのです。
日本も、自動車に比較的早くから製造に着手していました。明治37(1904)年に山羽虎夫という発明家が蒸気自動車を、明治40(1907)年には内山駒之助という発明家がガソリン自動車をつくっています。
フォードがT型フォードを開発した2年後の明治43(1910)年には、日本陸軍が大阪砲兵工廠で自動車の試作を開始しました。そして翌明治44(1911)年にはトラックが完成しています。
これは「甲型自動貨車」と名付けられ、シベリア出兵の際には、23台が派遣されています。
また当時、トヨタ、日産などもすでに自動車の製造に取りかかっていました。軍部では、自動車を重要な軍需産業と位置付け、大正7(1918)年には軍用自動車補助法という国産メーカーを支援する策を打ち出していました。


















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