現在の立ち位置とはまったく正反対…自動車をめぐって繰り広げられた戦前の【日米関税戦争】の裏側

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アメリカ製の自動車が日本の市場を席巻したため、日本は輸入自動車に高い関税を設定していました。

それでもアメリカの自動車メーカーは、日本に組み立て工場をつくるなどして、日本の自動車市場はずっとアメリカ車が独占する状態でした。

業を煮やした当時の日本政府は、関税をさらに上げ、日本での組み立て工場を事実上、禁止するなどして、強引にアメリカ車を締め出したのです。それが、日米関係が悪化する要因の1つになったのです。

その経緯をお話ししましょう。

「T型フォード」の開発により一気に普及

そもそもアメリカという国は、世界最初の自動車大国でした。そして、自動車を世界に広めたのも、アメリカなのです。

ガソリン自動車は明治19(1886)年にカール・ベンツによって発明されています。欧米の企業はこぞって、この新発明を実用化しようと試みました。

が、価格と性能の面で、なかなか、一般の生活に取り入れられるほどの物はつくれなかったのです。

その壁を破ったのが、アメリカでした。明治41(1908)年にはアメリカのフォード社が、T型フォードの大量製造を開始したのです。

フォードの製造方法は、オートメーションの元祖ともいわれ、画期的なものでした。フォードは、このオートメーション化により、自動車の価格を劇的に引き下げることに成功しました。

第一次世界大戦後には、T型フォードは今までの価格の半分以下、850ドルまでになっていました。これは一般の労働者でも十分に手が届くものです。自動車は、一気に普及することになりました。

当時、第一次世界大戦の戦争被害を受けなかったアメリカは、新しい大国として繁栄を極めようとしていました。石油資源が豊富で、国土の広いアメリカでは、自動車の需要がほかの国よりも大きかったのです。

これにより、アメリカは世界に先駆けて、自動車を国民生活の中で使うようになったのです。

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