北軍は大量に確保して戦いに臨んでいた… 「アメリカ南北戦争」の勝敗を分けた飲み物の正体とは

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ニューヨークにおける「茶会事件」の抗議デモや、マサチューセッツと協力してイギリス本国に立ち向かうための市民総会の開催をはじめ、市の公務を行う事実上の政庁所在地として、陸海軍将校のたまり場として、人々はマーチャンツに集いました。

アメリカ合衆国の誕生は、1776年7月4日。正式に独立が認められたのは、1783年のパリ条約です。アメリカの独立が、フランス革命をはじめ市民が自由を求める流れにつながっていったのです。そこにはいつもコーヒーハウスやコーヒーの存在がありました。

特筆すべきは、1789年4月23日、当選したばかりのアメリカ初代大統領ワシントンをマーチャンツに迎えて、州知事や市長などが祝辞を述べたことです。そのほか、農業組合、通信委員会、海運協会、商工会議所、奴隷解放促進協会などなど、数えきれない会合が行われました。

南北戦争とコーヒーの興味深いかかわり

奴隷制度廃止をめぐって対立した南北戦争(1861〜1865年)とコーヒーのかかわりも非常に興味深い話です。

19世紀に入るとアメリカでは一般市民にもコーヒーが普及し、朝食にコーヒーは欠かせない飲み物になっていきました。

また、19世紀初頭にはナポレオン戦争中、イギリスによる海上封鎖を回避するために、アメリカはカリブ海地域でとれたコーヒーを帆船でヨーロッパに運んでいました。自国のために輸入したコーヒーの一部をヨーロッパに向けて再輸出することで利益を上げていたのです。

中南米からのコーヒー供給量が増大しコーヒーの価格が安定すると、アメリカ政府はコーヒーへの関税を廃止しました。すると価格がさらに下がり、一般市民も手に入れやすくなりました。19世紀半ばにはアメリカ人ひとりあたりのコーヒー消費量が年間2.3キロを超えるほどでした。

コーヒーの魅力は、気分をスッキリさせる覚醒作用があることです。それは、戦場における兵士たちにとって命の支えとなるほど大切なことでした。南北戦争において、北軍は大量のコーヒーを確保して戦いに臨みました。将軍たちは戦闘前に必ず部下の兵士たちにコーヒーをたっぷり飲ませたといいます。

また、北軍がとった南部沿岸を封鎖する作戦は、南軍がコーヒーを手に入れることを困難にし、南軍の兵士たちをチコリやドングリで作った代用コーヒーしか飲めない状況に追い込むことになりました。

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