北軍は大量に確保して戦いに臨んでいた… 「アメリカ南北戦争」の勝敗を分けた飲み物の正体とは

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「代表なくして課税なし」という言葉が有名になりましたが、本国イギリスの議会に代表(議員)を送れないのに課税されるなんておかしい、というのです。

イギリス政府は激怒してボストンの港を閉鎖し、植民地の自治権を奪うという対抗措置に出ました。

しかし、かえって植民地全体が団結をして独立への道に突き進むことになっていきました。イギリス政府に対する反発は強まり、植民地の人々はイギリスから入ってくるものを極力口にしないようにしました。「もう紅茶なんて飲まない!」というわけです。

そこで紅茶に代わってコーヒーの出番となりました。

コーヒーに対しては、事件を起こした勇気を想起させるので「元気の出る飲み物」という先入観が生まれました。イギリスの植民地だったニューヨークやペンシルベニア、チャールストンなどでも同じような事件が発生し、コーヒーが庶民の間に広がり、定着していったのです。

独立派とイギリス支持派それぞれのコーヒーハウス

ボストンで有名なのは「グリーン・ドラゴン」というコーヒーハウスです。17世紀末から19世紀まで、135年間営業を続けました。

ここには、革命家、「ボストン茶会事件」の首謀者、独立戦争の将官など、あらゆる重要な事件にかかわった人たちが集まりました。コーヒーや酒を飲みながら、今日に続く歴史がつくられた場所でした。

独立派の市民が「グリーン・ドラゴン」に集まったのに対し、イギリス支持派のたまり場だったのが「ブリティッシュ」でした。

こちらには、王室や総督府の官吏、陸・海軍の将校、弁護士、それに上流階級の市民が集まりましたが、独立の機運が高まる中で風当たりが強くなり、独立戦争でイギリス軍が撤退するとすぐに店名を「アメリカン」に変えたという逸話が残っています。

政治を動かし国を動かす力がコーヒーハウスから誕生したことは、イギリスやフランスと相違ないのですが、アメリカ植民地のコーヒーハウスがヨーロッパのコーヒーハウスと違ったのは、長部屋や集会場があって、裁判が開かれたり、議会や評議会の議場としても使われたことです。

18世紀に開店したニューヨークの「マーチャンツ」は、19世紀はじめに火災で焼失するまでの間、数多くの歴史の舞台になりました。

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