「老いと死」におびえる悩み多き52歳が救いを求めて向かった場所。坐禅と写経、そして住職の珠玉の言葉から得られた気づきとは?

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「瞑想では目を閉じますが、坐禅では目をつむりません。『半眼』と言って、少し視線を落として1mほど先を見るようにします」と、ご住職。

目を閉じると眠たくなったり、雑念が増えたりするそう。寝不足気味の身としては正直、目を閉じたかったが、それは叶わぬようだ。

坐禅中は、呼吸に合わせて1から10まで数える「数息観(すうそくかん)」を行う。すると、雑念にとらわれなくなり、集中力も高まるという。

もし、途中で眠気が出てきたり、集中力が切れたりした場合は、平たく長い木製の棒で肩を打ち付けてもらう「警策(けいさく)」をお願いすることもできる。自分が打ってほしいタイミングで「合掌」すると、それが「警策」を求める合図となる。いきなりご住職から打たれるわけではないと知り、安堵した。

「合掌」
「合掌」が警策を求める合図に(写真:勝林寺提供)

前半15分の坐禅が始まった。すると、早速心がブレブレになる場面に出くわした。開始10秒で前に座る女性が「警策」をお願いしたのだ。

「え、もう?」。思わず笑いがこみ上げ、その笑いを必死に抑え込もうと唇を噛みまくった。

だが、追い打ちをかけるように、斜め前から「ぐぅ~」っと、お腹の鳴る音が響いた。結構大きめだ。人間、笑っちゃいけないときに限って、ささいなことが引き金になる。決壊を突き破るかのように笑いがどっと押し寄せ、肩が揺れ始めた。もう、あかん。

観念した私はおもむろに合掌し、ご住職に「警策」をお願いした。合掌しながらおじぎをすると、右肩甲骨にパシッ、左肩甲骨にパシッ。小気味よい一撃で芯から目が覚めた。

雑念だらけの前半とは打って変わって、後半はだいぶ心が静まった。呼吸だけに意識を向けると、最後の数分間は完全に脳内のノイズが消えた。情報にまみれた日常で、思考が何も浮かばない時間ほど贅沢なものはないと思えた。

50代がぶつかる人生のマンネリ

「私のように、この先の人生に不安を抱える50代から相談を受けることはあるのでしょうか?」

住職の宇野さんに尋ねると、「ありますね。一番多い悩みは親の介護のこと。それから、ご自身のこれから先の仕事についてです」と答えが返ってきた。

たとえば、仕事ではこんな悩みが目立つという。「若い頃から同じ仕事を続けてきたけれど、ここ数年マンネリを感じて、やる気も落ちてきている。何か新しいことを始めたほうがいいのか。それともこのまま続けるべきなのか……」。そうした将来への漠然とした不安を抱える人が多いというのだ。

それらの不安や悩みから一度離れ、頭を空っぽにしたい。そこから新たな気づきを得たいという目的で坐禅をしに来る人が多いのだという。

「瞑想でもいいのですが、瞑想は目を閉じるので、自分の内側の世界しか見ることができません。でも、半眼で行う坐禅は、自分の内側と外側、両方を見ることができます。外側とは、今私たちがいる現実世界のこと。坐禅を通じて、内側だけでなく、外側の現実にもしっかりと目を向けることで答えが出てくるというのが、禅の考え方です」(宇野さん)

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