「店舗が次々と撤退」「人の気配も皆無」 まるで異空間「バブルが生んだ廃墟モール」はなぜ失敗してしまったのか

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そんな「マイカル本牧」が曲がり角を迎えたのが、1991年のバブル崩壊と、それに伴うマイカルの経営不振である。本牧への地下鉄の延伸計画も浮上していたが実現せず、アクセスの悪さも改善しなかった。総投資額400億円とバブル期に莫大な金額を注ぎ込んだこと、駅から遠い立地につくる商業施設としては規模が大きすぎたことが災いした。

さらに、横浜市が「みなとみらい21」の再開発を進め、1993年に「ランドマークタワー」が開業したことも衰退の一因である。「マイカル本牧」のオープン当初は東京、埼玉、千葉といった遠方からも客を集め、20代の来店比率も高かったが、これらの競合施設に客足を奪われた。赤字に陥っていた「マイカル本牧」は、1996年に大幅リニューアルを実施している。

みなとみらい
みなとみらいが「マイカル本牧」から客足をさらっていった(筆者撮影)

マイカルは2001年に経営破綻。その後、イオンの子会社となった。「マイカル本牧」1番街などは「サティ」として営業を続けたが、前述のとおり多くの棟は閉鎖・解体された。

5番街は2008年に「シュロア本牧」として再生される話があったが実現せず。2010年にゲオの子会社であるゲオエステートが改装し、「ベイタウン本牧5番街」として開業した。2011年に「サティ」は「イオン」に改称された。

5つの要因が廃墟モールを生んだ

冒頭にて、廃墟モールの誕生には7つの要因があると書いた。具体的には以下の7つだ。

①競合施設の存在、②モータリゼーションの進展、③アクセスの悪さ、④動線の設計ミス、⑤施設規模の不適合、⑥運営会社の破綻、⑦核テナントの撤退

「ベイタウン本牧5番街」、かつての「マイカル本牧」が当てはまるのは、①競合施設の存在、③アクセスの悪さ、④動線の設計ミス、⑤施設規模の不適合、⑥運営会社の破綻 である。7要因のうち、5つが該当するのだ。なかでも、「アクセスの悪さ」が致命的な要因であったと考えられる。

同様の理由で廃墟となったモールが、他にも存在する。しかし、「ベイタウン本牧5番街」からテナントが姿を消しているなか、こちらは復活したようで……なにが2つのモールの明暗を分けたのか? 続く後編では、他の事例を取り上げつつさらに詳しく分析する。

【後編】「最寄り駅から徒歩34分」で廃墟化…バブルが生んだ「ハマの廃墟モール」の現状と、滋賀の「明るい廃墟」が復活できたワケ
坪川 うた ライター・ショッピングセンター偏愛家

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つぼかわ・うた / Uta Tsubokawa

ショッピングセンター偏愛家・ライター。新卒で大型SCデベロッパーに就職。小型SCデベロッパーへの転職を経て、フリーランスに。国内外で500以上の商業施設を視察済み。宅建・FP2級。熊本大学卒。

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