「店舗が次々と撤退」「人の気配も皆無」 まるで異空間「バブルが生んだ廃墟モール」はなぜ失敗してしまったのか

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6番街の建物
6番街にも空き区画が目立つ(筆者撮影)

もともと駐車場とファストフード店だった10番街は、駐車場やトランクルームとして活用。2番街(サティからビブレに改装)、7番街(ホテル)、8番街(駐車場・ファストフード)は解体されてマンションになっている。あとから増築された11番街、12番街もテナントビル、マンションに姿を変えた。

10番街の建物
10番街にも「10」のサインがある(筆者撮影)
マンションに建て替えられた7番街
マンションに建て替えられた7番街(筆者撮影)

バブル巨額投資の光と影

廃墟となった「ベイタウン本牧5番街」だが、1989年に「マイカル本牧」としてオープンしたときは全国から注目を集めた。海外ブランドを取り扱う店舗や映画館など約240店舗を構え、「日本初のアーバンリゾート型ショッピングセンター」と呼ばれた。

開発したのは、スーパーマーケットを手がけていたニチイ(のちにマイカルへ社名変更)。従来の「モノを売る小売業」から、「時間消費型」へと脱皮したニチイの街づくりは先進的で、地方自治体をはじめとした視察希望が絶えなかったそうだ。今でこそ体験型の消費が一般化しているが、バブル期に転換を目指した先見の明は素晴らしい。

当初見込んでいた年間の来客数850万〜900万人に対し、初年度は1500万人を超え大幅に上回った。その数は東京ディズニーランドの来場者数に匹敵していた。非常に好調な滑り出しであったことがわかる。オープンから約5カ月後に開通した横浜ベイブリッジの恩恵も受けた。

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