豊臣秀吉「信長を呼び捨てし、兄弟を処刑」 "人たらし"の虚像に隠した冷血な本性
調査の結果、二人は秀吉の元へ呼び寄せられました。農家で慎ましく暮らしていた女性たちは、突然「あなたたちのお兄様は豊臣秀吉様なのだ」と告げられ、胸を躍らせたといいます。これからは天下人となった兄のおかげで農作業に追われることもなく、豊かな暮らしが待っている――そう信じて喜んだのでしょう。
ところが現実は無惨でした。この二人もまた秀吉の命で処刑されたという衝撃的な一件を、ルイス・フロイスは記録に残しています。
一部には、このフロイスの記述を疑問視する声もあります。もちろん、これが事実かどうかは断定できません。
しかし、フロイスは織田信長や豊臣秀吉と同じ時代を生き、その動向を逐一観察して報告をバチカンに送っていました。国内の政治的な思惑に左右されずに書かれた記録であるため、一定の客観性を備えていると考えられます。そのフロイスが残した、秀吉による残虐な行為に関する記述は、信頼できる史料の一つと言えるでしょう。
そして、もしこれが本当に起きた事件であれば、秀吉は血縁や兄弟という存在を全く信用していなかったことになります。
フロイスの報告は、冷たい秀吉の一面を鋭く浮かび上がらせているのです。
恩を仇で返された秀吉の部下たち
事実、秀吉は出世以前の自分を知っている者に対して冷酷でした。成り上がった後に「昔の恩に報いよう」と殊勝な態度を見せる人物ではありません。むしろ「かつての自分」を知る存在は危険であり、不要だとみなせば容赦なく切り捨てることのほうが多かった。
そんな秀吉の冷酷な一面を示す一つの根拠となるのは、「秀吉の四天王」について。彼らは、正確に言えば「初期の秀吉の四天王」と呼ぶべきでしょう。秀吉がまだ一大勢力となる前、織田信長が家臣に「秀吉を助けてやれ」と命令し、彼を補佐するようになった人々です。



















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