豊臣秀吉「信長を呼び捨てし、兄弟を処刑」 "人たらし"の虚像に隠した冷血な本性
四天王の一人である宮田光次は、非常に勇猛な武将で、武功第一として秀吉に評価されていましたが、播州(播磨)の三木城の戦いで討ち死にしました。二人目の戸田勝隆は、七万石の大名に取り立てられ、畳の上で穏やかな最期を迎えています。
問題は、四天王の残り二人となる神子田正治と尾藤知宣です。この二人は、古くから秀吉を支えてきた「身近な家臣」でした。本来であれば秀吉が格別に大切にしてもおかしくはない存在です。
ところが、秀吉はこの二人を些細なことから冷たく切り捨てます。神子田正治は、所領没収の上、追放され、困窮の末に野たれ死ぬことに。
手紙で信長を呼び捨て
今でも残っている部下の脇坂安治に宛てた秀吉の手紙には、「仮に神子田が助けを求めても手を貸すな」と命じました。しかも、「決して匿ったりするな。俺は信長のように甘くはない」と言い放ったのです。この手紙は秀吉が信長を呼び捨てにした手紙としても、有名です。
四天王の最後の一人である尾藤知宣の末路も、また悲惨なものでした。彼は、一度は大名に取り立てられますが、九州征伐などの処理が悪いと秀吉から不興を買い、領地を没収されてしまいます。
小田原攻めの際、彼は秀吉に直々に面会を願い出て、「どうか、もう一度だけチャンスをください」と懇願しましたが、うまくいかず、惨殺されてしまうのです。



















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