秀吉に鶴松が誕生→兄弟の関係に変化? 《大河『豊臣兄弟!』主人公・秀長の生涯》一時は険悪な空気も…熊野山の材木事件とは?

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『マンガと図解と地図でわかる!豊臣秀長徹底解説』
(画像:『マンガと図解と地図でわかる!豊臣秀長徹底解説』より)
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公・豊臣秀長は、のちに天下人となる豊臣秀吉の弟。兄を献身的にサポートし、「秀長がいなければ秀吉は天下をとれなかった」とまで言われるほど。大河ドラマでも「夢と希望の下剋上サクセスストーリー」が描かれるそうだが、秀長自身のパーソナリティーはよく知られていない。
そこで歴史系YouTuber「ミスター武士道」氏の著書『マンガと図解と地図でわかる!豊臣秀長徹底解説』より一部を抜粋し、秀長の生涯に触れていく。本記事では天正16(1588)年に起きた熊野山の材木事件、その後の関東・北条攻めをめぐる豊臣兄弟の関係性を探る。
【あわせて読む】2026年大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長。《兄の秀吉を強力にサポート》「鳥取の飢え殺し」「三木の干殺し」の地獄絵図

熊野山の材木事件

鶴松誕生のおよそ半年前の冬、秀長の家臣・吉川平介が秀吉の命によって処刑されるという事件が起きました。一体何があったのかというと、まず秀吉は京都の三十三間堂の北側に「東山大仏」の造立を始めました。その大仏殿の建立には膨大な量の材木が必要でした。

秀長の領国である紀伊は材木の産地として名高く、この材木を取り仕切る材木奉行が吉川平介でした。

この平介が熊野山の木、およそ2万本を大坂で売り払った際に、過分に代金を受け取った罪により捕らえられ、最終的には処刑されました。

過分に受け取った代金が、具体的にどれほどのものだったのか、それは吉川平介個人による着服だったのか、上司である秀長はそれを知っていたのか、もしくは秀長の指図だったのか、真相に関する記録はなく詳細はわかりませんが、最終的には処刑という厳しい罰が秀長の家臣に科せられたのは事実です。

秀長は天下の面目を失ったと『多聞院日記』には記されています。

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