豊臣秀吉「信長を呼び捨てし、兄弟を処刑」 "人たらし"の虚像に隠した冷血な本性
もし、竹阿弥と母が生別、あるいは死別していたとすれば、大政所が別の男性との間に子をもうけた可能性も否定できません。当時は女性が一人で生計を立てるのは難しい時代であり、再婚や新たな関係を持つことは自然なことでしたし、現代よりも女性が子どもをたくさん産むことも当たり前でした。
実際、前田利家の妻・まつは十一人もの子を産んでいます。だから、大政所が四人以上の子を産んでいたとしても不思議ではない。
秀吉はその可能性に思い至り、大政所を呼び寄せて「弟」を名乗る若い男と対面させました。そのとき、大政所は気まずそうな様子を見せたと伝えられています。
弟は危険分子でしかなかった
母の様子を見た秀吉は、「やはり母は自分たちの知らないところで子をもうけていたのだ。この若者は、父は違えど間違いなく自分の弟だ」と確信したのでしょう。その確信の先に待っていたのは情け容赦ない処置でした。なんと、秀吉はその若者を無残に処刑してしまったのです。
秀吉にとって、新たに現れた弟は、「自分の血縁が増えてうれしい」という感覚よりは、いつ自分に牙をむくともわからない危険分子でしかなかった。ここからも、秀吉の血縁への意識の薄さが透けて見えます。
さらに調査を命じた秀吉は、「母の知られざる子」がほかにもいるのではないかと家来に探らせました。すると、尾張で暮らしている姉妹が、秀吉の異父妹にあたる可能性が浮上してきたのです。



















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