老子はこう答えた。
「あなたが評価している堯舜時代の聖賢の礼、それを語っていた人たちはすでに骨といっしょにすべて腐って消え去りました。残っているのはただ彼らの言葉だけです。
私があなたに言いたいのは、君子は時を得れば馬に乗って偉ぶるけれど、時を得られなければ塵のように歩き周るだけ。
聞くところによると、本当に立派な商売人は自分が持っているもっともよいものは奥に隠して見えないようにするといいます。同じように、本当に徳のある君主の顔は、まるで愚か者のように見えるでしょう。
あなたはおごりと欲を捨てて、なにかを持っているように見せることと、すべてを自分の思いどおりにしようとする心を捨てるべき。すべて、あなたのためにならないからです。
私があなたに言いたいのはこれだけです」
脱俗の老子、世俗の孔子
何が言いたいのかわかっただろうか? 遠回しな言い方だからわかりにくいけれど、要はこういうことだ。
「今、お前は世界を救うって言ってあちこちで名を売っているみたいだけど、本当に能力があるヤツは、表に出ないで隠れているもんだろ。それから、お前はおごり高ぶって欲にまみれて見えるから、後で気をつけたほうがええで」
僕なら家に帰って布団をかぶって怒りで涙を流すだろうが、孔子はそんな人ではなかった。
老子と別れた孔子は自分の弟子たちにこう話したという。
「私は鳥が飛べることを知っていて、魚が泳げることを知っており、獣が走れることを知っている。走るものは網をもって、泳ぐものは釣り糸をもって、飛ぶものは矢をもって捕まえられる。しかし龍にいたってはわからない。それは風と雲に乗って天に昇るからだ。今日、老子に会ってまるで龍を見たようだった」



















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