"W杯で号泣した男"だからわかる「俺たちのサッカー」が世界で通用しなかった本質的な原因、日本代表が世界を制すには何が必要か

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「9月のアメリカ遠征(6日=メキシコ戦、9日=アメリカ戦)は1分1敗でちょっと厳しい結果になりましたが、攻撃的な選手があれだけ守備をしていれば、日本代表を目指す選手も守備の意識が高くなると思いますし、それができないと代表には近づけないと思うので、Jリーグ、僕が携わっている育成年代の底上げにもなると思います」

駒野より10~20歳下の後輩たちは今、世界の頂点を狙っているが、自分たちも「優勝したい」という気持ちは胸の中に秘めていたという。それを公言し始めたのは、本田たちだが、日本の基準は確実に上がっている。それを体現する1人が39歳の長友である。

「僕も長い間、代表でSBをさせてもらいましたけど、やっぱり最高の選手は長友とウッチー(内田)じゃないですか。彼らは世界でも活躍したし、代表入り後も即戦力として力を発揮していたし、すごいなと思って見ていました」

興奮気味に語る駒野。とりわけ、39歳になっても日の丸をつけ続けている長友のメンタルモンスターぶりには感動を覚えるほどである。

「39歳になっても代表ですからね。すばらしいとしか言いようがない。サッカーのために毎日生活しているし、『サッカーのために』というのを24時間考えている。そのくらいやらないと代表に選ばれ続けるのは難しいというのを、彼は身を持って示していますよね。『うまくなりたい』という向上心が突き抜けていないと、あそこまでは継続できない。本当に超越しています」

苦労人の努力は実を結ぶか

松井大輔引退試合
松井大輔の引退試合には、駒野以外にも前田遼一(右から2人目)など、かつての名選手が顔をそろえた(写真:筆者撮影)

そう語る駒野だが、41歳まで現役を続けたのは称賛されるべきこと。辛抱強く、コツコツとキャリアを積み上げてきたから、今がある。「僕はサッカーが好きっていうのが一番だと思います」と本人も笑っていたが、その探求心は指導者になってからもとどまるところを知らない。むしろ「もっともっと」という気持ちになっているという。

「指導者としての目標は、今後、カテゴリーを上げていって、将来的にはサンフレッチェの監督をやりたい。となると、昨年引退したアオ(青山敏弘=広島トップコーチ)との競争になりますね(笑)。まだ2人ともJFAプロライセンスを取っていないんで、どっちを先に研修に派遣するのか。それはクラブの判断になりますけど、僕は僕で現場を見ることができている。少しずつ前進はしているとは感じています」と駒野は力を込める。

同じ1981年生まれの盟友・前田遼一はすでに森保ジャパンのコーチングスタッフとして働いている。そういう仲間の存在もあるだけに、駒野も早くチャンスをつかみたいはずだ。

改めて考えてみると、森保監督も広島で3回のJリーグ制覇を果たし、東京五輪代表監督に抜擢され、そこから日本代表監督を兼務することになった。広島で実績を残せば、代表への道は一気に開けることを証明している。

その先人に追いつけ追い越せというマインドを持って、駒野はコーチングの道を突き詰めていく。南アで号泣した苦労人SBが、いつの日か日本代表のジャージを身にまとい、熱血指導している姿を見てみたい。

(一部敬称略)

元川 悦子 サッカージャーナリスト

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もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

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