"W杯で号泣した男"だからわかる「俺たちのサッカー」が世界で通用しなかった本質的な原因、日本代表が世界を制すには何が必要か
「言ってしまえば、アジアではそういうサッカーができたし、親善試合でもできたことはあったけど、本番では出せなかったということ。それが当時の日本代表の積み上げたもの。なぜ出せなかったのかというと、世界の大舞台で強豪に勝たなければいけない重圧の中で、結果的に自分たちのサッカーができなくなってしまったということだと僕は捉えています」
駒野ら04年アテネ五輪世代が中心となって戦った南ア大会は、本田が「見ている人が面白くなかった」と語ったとおり、本当に守備一辺倒だった。「ベタ引きサッカー」とも評されるが、ラインを下げてブロックを形成して守る時間が圧倒的に長かった。
中盤も阿部勇樹(浦和レッズ ユース監督)をアンカーに据え、その前にボランチが本職の遠藤保仁(ガンバ大阪 トップチームコーチ)と長谷部誠(フランクフルトU-21コーチ)を並べるという守備的な構成。両サイドの松井大輔(Fリーグ理事長)と大久保嘉人は献身的なアップダウンを繰り返し、攻めている時間はほんのわずか。それでも勝つためには割り切るしかなかった。
「2010年は岡田監督がそういうメンバーを選んだし、選手ミーティングで口火を切った(田中マルクス)闘莉王を筆頭に選手も頭を切り替えたので、一体感があったと僕は考えています。チームがうまくいかないときって、監督と選手、あるいは選手間で攻撃に行きたい選手もいれば、守備に行きたい選手もいて、1つになれない状況が起きることが多い。もしかすると、ブラジルではそういう意識の違いがあったのかもしれません」
「チームとして目指す方向が違っていった」

そういうことを指摘できる彼らベテラン選手が何人かいれば、チームの成り行きはまた違ったものになっていたかもしれない――。当時はそんな声も聞こえてきた。だが、指揮官は川島永嗣(ジュビロ磐田)、長谷部ら年長者を軸に、本田や長友佑都(FC東京)、内田篤人、香川真司(セレッソ大阪)らを中心に据えて戦うことを選んだ。
駒野のポジションであるサイドバック(SB)にしても、長友と内田のバックアップには当時、売り出し中だった酒井宏樹(オークランドFC)と酒井高徳(ヴィッセル神戸)を抜擢。駒野は「その判断は自分にどうこう言えることじゃない」と何とか割り切ろうとしていたが、やはり重要な初戦・コートジボワール戦で1点をリードしながら、ディディエ・ドログバの個人能力の前に2点をひっくり返された日本代表を目の当たりにして、いても立ってもいられない気持ちになったようだ。
「自分たちのサッカーが難しくなったときに何をすべきか。彼らもあのとき、それをいちばん感じたと思います。うまくいっているときはみんな気持ちよくやれているけど、問題は守らなければいけなくなったとき。後ろは守りますけど、前は攻め続けたいという感情がどこかにあって、チームとして目指す方向が違っていったようにも感じます」
駒野が言うように、全員が共通認識を持てないと、相手にジャブを打たれ続けて、最終的には崩れてしまう。あのコートジボワール戦は日本代表、日本サッカー界にとって、いい教訓になったと一指導者に転身した駒野は自戒を込める。
あれから11年が経過し、今の日本代表は全員がハードワーク・即時奪回を実践できるハイレベルな集団になっている。2022年カタールW杯で異彩を放った韋駄天・前田大然(セルティック)の前線からの“鬼プレス”が一世を風靡したが、世界で勝つためには、森保一監督も口癖のように言う「全員攻撃・全員守備」が必要不可欠だと駒野も強調する。
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