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明王朝"最後の名君"のもとで働いた乳母が強すぎた! 仕事中に帰宅し「戻るくらいなら自殺する」と出勤拒否するも、皇帝から受けた"異例の待遇"

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  • 加藤 徹 明治大学法学部教授
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弘治帝は、自分が宴会の影の主催者であることを料理で知らせたのである。帝の気持ちを理解した諫言官たちは「やれやれ」と、それ以上の苦言をあきらめるしかなかった。

臣下を問答無用で処刑した洪武帝や永楽帝とは、えらい違いだった。

後宮の乳母をめぐる挿話も、他の皇帝ならありえない話だ。

皇帝と皇后に礼を尽くさせた乳母

張皇后は弘治4年(1491年)、弘治帝の長男・朱厚㷖(こうしょう)を産んだ。乳児だった朱厚㷖は皇太子に立てられた。

太子の乳母は民間人だった。子煩悩な弘治帝は、よく授乳の様子を見に行き、そのたびに賞与の品を乳母に下賜した。すると張皇后は、そのたびに賞与の品を没収してしまう。皇后なのにせこい。もしかすると、夫が別の女性の乳房をのぞくのを、こころよく思わなかったのかもしれない。

乳母は皇帝から賞与をもらっても、無愛想だった。皇帝が「なぜ感謝の言葉を述べないのか」ときくと、乳母は「どうせまた皇后さまに取り上げられちゃいますから」と答えた。

弘治帝はお詫びに、乳母に酒と食事をおごった。皇后が没収しないよう、自分が皇后を連れて臨席した。食事は終わったものの、乳母は幼い太子をだっこしていたので、席から立って感謝の拝礼ができない。

突然、太子は元気よく泣き出した。皇帝と皇后は乳母に近寄り、かわいいわが子を見るため、ひざまずく。弘治帝は乳母に「立たないで。そのままで」と言った。まるで皇帝と皇后が乳母に拝礼をしているように見えた。

別のある日。弘治帝はふざけて、幼い太子に「皇后さまをぶって」と言った。太子はトコトコ走って、皇后を軽く叩いた。続けて「乳母をぶって」と言うと、太子は乳母はぶたなかった。皇后は、わが子が自分より乳母になついているのを見てカッとなり、乳母に「すぐに出てゆきなさい」と言ってしまう。

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【「戻るくらいなら、自殺します」】

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