「小泉八雲」が残した150年前の料理本に現代人が圧倒される理由。朝ドラ「ばけばけ」で注目の八雲、来日前に記したユーモア満点のレシピとは?
本書がこのような連続性のある読み物という性質をもっていたがゆえに、逆に翻訳作業は楽しく進められた。当初は、原文の量の多さ、また一見して無味乾燥なレシピの羅列を前に、途中で退屈するのでは、と危ぶんでいたのだ。
ところが作業を進めるうちに、しだいに登場人物がはっきりした形をもって動き出す。無味乾燥な料理本という第一印象を超え、一九世紀後半のニューオーリンズに生きた人々の暮らしが浮かびあがってきたのだ。そこからは早かった。
浮かび上がってくる「ふつうの」暮らし
語り部はラフカディオ・ハーン。放浪者としてニューオーリンズにたどり着いた、好奇心と食欲が旺盛な独身男だ。家庭の味に飢えたハーンは、友人宅を訪問して、温かい食事にありつく。その美味に感激した彼は台所に駆け込み、調理法をたずねる。
台所の主はニューオーリンズ在住のベテラン主婦。現役主婦ならではのウンチクの数々からは、彼女たちのキャラクター、はては容姿までもが浮き彫りになってくる。
「焼き菓子を作るなら、用具は木製より大理石。結局、大理石のほうが長もちするからね」「新しいアップルパイの作り方を教えてあげましょう。一度こっちでやると、昔のやり方でなんてやってられないんだから」「クランベリーパイを作るときに、小麦粉を入れる人がいるらしいけど、わかっちゃいないわね」……。
作品を提供した主婦の実名が省略されているのが実に惜しい。もしかしたら、主婦同士の人間ドラマまで暴かれていたかもしれないのだ。
また、電化製品を使わないので妙に時間のかかる調理はもとより、そのダイナミックさ、ボリュームにもわくわくさせられる。シギ焼きを食べるなら、まずシギ一四羽の羽根をむしる。クレオール名物ザリガニのビスクスープを作るには、ザリガニ「五〇匹ほどが適当である」。
さらに、計量表記を原文に即したためピンと来ない部分もあるかもしれないが、お昼や夜食向きの手軽なオイスタートーストならば「牡蠣一クォート」が必要だ。一クォート、すなわち約一リットルである。
ああ、なんという食欲、なんというダイナミズム、なんという暮らし!
こんな風に料理をし、食卓を囲んでいた人たちはいったいどんな生き方をしていたのだろう。何に幸せを感じ、何に悩み、どんな風に死んでいったのだろう。
また、異国人として、現地の人々の暮らしを執拗に観察し、細部をとらえることで生き生きとその生活を描きあげ、そしてまたはるか彼方の異国、日本に旅立っていったハーンの人生とはいったい何だったのだろう。
本書には、政治やお金の動きを中心とした歴史書ならば確実に削り落とされる、ふつうの人々の暮らし、生きざまをごく自然に思い起こさせる行間の深さがある。そしてこの「ふつうの人々」は、未来の歴史書であれば削り落とされるであろうわたしたちの姿でもある。
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