とはいうものの、ここで筆者の考えは迷走し始める。アメリカ政治はかつて、二大政党が大統領候補者を"Smoking Room"(煙草のけむりが立ち込めるボスたちの部屋)で決めていた。
戦後になって「それではいけない」ということになって、州ごとに予備選挙のシステムを導入した。その結果、どうなったか。政党は自分たちの手で候補者を決められなくなった。完全な民意に従うことが、フェアであり、正しいことだと思われたのである。
それでどうなったか。今では誰も現大統領のドナルド・トランプ氏を止められなくなった。なぜならそれが多数意見だったから。今では共和党という政党自体が乗っ取られて、事実上の「トランプ党」になってしまった。いや、それも民意の結果だからそれでいいのだ、という見方もできるだろう。ただし、筆者にはそれでアメリカ政治が良くなったとは思えない。もうちょっとグレーの部分を残しておいたほうが、民主主義にとって良かったのではないだろうか。
特に昨今のようなSNS全盛時代は、簡単に「少数派の専横」を許してしまうリスクがある。近年は直接民主主義制の国において、しばしばアッと驚くような選挙結果が出て、それは外国の勢力が影響を及ぼした結果であるのかもしれない。民主主義国が自分たちの投票を信用できない、という問題が多発しているのである。
やはり政治の世界には、ある程度はグレーな部分を残しておいたほうがいいのではないか。自民党総裁選も、党員票を重視すべきなのは当然として、少しくらいは長老や党官僚などの影響力を残しておくほうが、いざというときに歯止めになってくれるのではないか。
「おまかせすし屋」の自民党に「知恵」は残っているか
もっともこういう思考、今のデジタルな時代には受けないだろうな、という気もする。あるいは単なるノスタルジーにすぎないのかもしれない。透明性を高めよ、選択肢を提示せよ、すべてを自分たちに決めさせよ、というのが有権者の気分であろう。「肉か魚か」「レアかミディアムかウェルダンか」。もっともそういう選択は、実はプロである料理人に任せるほうがいいことが少なくないのだが。
その点、自民党総裁選は出てくる料理が「おまかせ」一択のすし屋みたいなものである。歴史があるから客は我慢しているけれども、候補者の選定から最終決定まで、かなりの部分がブラックボックスである。その辺の塩梅が良いときは、「自民党の知恵」と呼ばれて結果オーライとされた。そして意外なドラマとともに誕生する新総裁は、強い政治基盤を持つことができたものだ。
しかるに自民党にまだ知恵は残っているのだろうか。われらが民主主義はどこまで信用に耐えるのか。だんだん不安を感じるようになってきた2025年の自民党総裁選である(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら