
陰謀論について、最近はさまざまなことが語られるようになった。しかし、それらはすべて本質を外している。なぜなら、「陰謀論を信じることを批判的に語る人々」と、「陰謀論を信じている(と思われている)人々」の間には、根本的な違いがあるからだ。
実際は陰謀論を信じているのではなく楽しんでいるだけ
それは、前者が正しくて後者が間違っている、ということではない。180度逆で、前者が間違っていて、後者は正しいのだ。陰謀論を信じることを批判する人々は、致命的に間違っているのである。なぜなら、彼らが批判している人々、陰謀論を信じていると思われている人々は、陰謀論を信じているのではなく、陰謀論を語っているだけだからだ。
これは、陰謀論を確信犯的に広めている人々をさしているのではない。陰謀論が語られるのを聞いている人々、それを好んで聞いている人々のことを言っているのだ。彼らにとっては、陰謀論を受け入れているのは、信じているのではなく、楽しんでいるだけなのだ。「愉快犯」の「愉しむ」ではなく、「エンジョイ」の「楽しむ」なのだ。
ここで、陰謀論が正しいと信じているか否かは関係ない。関係ないというより、正確に言えば、信じるか否か、という問いをあえて避けているのだ。つまり、陰謀論とはファンタジーなのである。
陰謀論がファンタジーと類似している、という指摘は数多くある。しかし、それらの議論は、2つを混同してしまうのはなぜか、ファンタジーに似た力を持ってしまうのはなぜか、といった根本的な誤解をしている。
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